
ちょっと提唱したいことがあるので、
9月を勝手に、
NOストレス・NOイライラ月間
としてみることにします。
周りを見渡すと、口では
穏やかにと、
イライラしないと、言っていながら、
自分でも気付かず、小さなことでイライラしがちな人を見かけます。
特に待たされることとか、混んでいることとか、
自分のタイミングに合わない周りの動きとか。
そういった、感じるも感じないも自分次第のことで。
せっかくお参りにいったり、
心を入れ替えようと思った矢先から、
そんなことでイライラしてしまっていては、
根本的なところが洗えてないんじゃないかなーと思ってしまいます。
心は凪に。
いつでも静かに。
流れるままに。
すべて受け入れる。
それを自分で100%体現出来ていると自身を持てたら、
改めて提唱したいので、
今月は「心を凪に月間」です。
昔住んでいた阪急淡路駅から、
当時住んでいたマンションに向かって歩いてみた。
私の記憶では、
道路がつながっていない。
マンションの敷地の道を渡ったところにLAWSONがあったはず。
私にとって
当時、初めて見るLAWSONだった。
牛乳缶のマークが印象的だったことを
今でも覚えている。
LAWSONはそのままあった。
店内は少し違うのかな。
覚えていない。
LAWSONの前からマンションに入るスロープを登る。
このスロープで、
公立の男子小学生に、
ランドセルが黒いと冷やかされて、
嫌な気分になった。
このスロープを、母は、
水ぼうそうになった私達をおんぶして
一人一人病院に運んでくれた。
あの頃の母は、
今の私より少し若い。
私のはじめてのお使いは、
このマンションの地下にあるジャスコだった。
何の障害物もない買い物なのに、
頼まれた通りに買い物ができたことは
あまりなかったと思う。
遅すぎる8歳の、
はじめてのおつかい。
しっかりものの2つ下の妹は
きっとちゃんと買い物をしてた。
このマンションのエレベーター前、
郵便受けのところで、
聖子ちゃんに会う夢を見たことがあった。
郵便受けは、
30年前と何も変わっていなかった。
でも私は、30年後の今、
あの聖子ちゃんがお仕事をしている世界になぜかいる。
時間は流れて、
変わるものも多いけど、
こんなに変わらないものもあるんだ。
淡路駅前に戻り、
私の今年の夏休みを終わらせた。
有意義で、楽しかった。
夏休みの絵日記を、
楽しかったというつまらない言葉で締めたくはないけど、
やっぱり、楽しかった。
知らない土地に一人でいると、
更に、宿がない夜を迎えると、
少し心細い感じがするものでしょうか?
そこを住まいとする人にとっては
いつもと変わらないホームの地なのに
同じ場所を、
知らない私はアウェイと感じ
心が細くなる。
この感覚は、
自分の中で作り出される
思い込みなのでは?とふと考えた。
本来誰もが、
その土地に属しているわけでもなく
属してないわけでもない。
なのに人は自然と、
自分の居場所や、
仲間や、属性を作るようにできているのではないかと。
そう思ったら、ここ大阪が、
私にとってアウェイな訳でもないし、
今住んでいる東京のあの場所が、
私のホームな訳でもない。
私たちはみんな
ひとりだし、
逆に、
日本にも地球にも、
宇宙にも属しているから、
どこでもホームという意味では、
みんな一緒なんだなということ。
うまくまとめられないけど、
ちょっと整理された。
何だか急に思い立って、
30年前に通っていた小学校を
訪ねたくなった。
1982年春、当時2年生の私は、
生まれて初めて日本に引っ越してきた。
その時に転入したのが、
大阪 箕面の聖母被昇天学院小学校。
夏休み終わり、土曜日の小学校。
職員室に1人の先生しかいなかったけど、
自由に見ていいですよと言ってくれた。
記憶の中の学校は、
校舎も人もすべて面でしかなかったけど、
一歩足を踏み入れたら、
記憶が立体のものとなって、
いきなり回路がつながった。
この扉から校舎に入って、
このトイレにみんなと行って、
このガラスから見える先に
学研の配布場所があった。
幼い頃の記憶の場所を訪ねると、
昔と違って感じるとよく聞くけれど、
私の場合は全く同じだった。
色も大きさも。
今まで思い出さなかった立体の感覚が
脳裏に一気に蘇って、
誰もいない静かな校舎の中で
また泣きそうになった。
今も違う形でもちろん幸せだけれど
あの頃の私がどんな風に幸せだったのか、
初めて本当に気づけた気がする。
私の芯は、
両親からの愛で作られ、
メキシコの太陽で膨らみ、
その次に、この校舎で磨かれた。
それは、
今の私のほとんどを形成している
といっても過言ではないと思う。
人の芯はきっとこの頃までに
ほとんどが形成されるのではと思う。
だから私は、
自分が知らない間に、考えて考えて
こうゆう環境に置いてもらえたことを
今になって改めて、
どれだけ重要なことだったかに気づき
泣けてくるんだと思う。
人懐っこい私は、
いつも先生に甘えていた。
いらっしゃった宿直の先生に尋ねたら
私の2年の担任だった難波一重先生も、
3年・4年の担任の名和秀樹先生も、
今でも現役だときいた。
驚いた。
また来よう。
先生がいるときに
会いに来たいと思った。
本当に、楽しい、一日だった。








