中学生になると、泊まりに行くことはなくなりました。
卒業して、高校に入学する前の春休みから親友と二人でアルバイトを始めると母親に話しました。
近所の店じゃなく市内の方へ行く計画をしたのを猛烈に反対された。
口答えするので、母はH姉ちゃんに電話して◯◯を説得するように言ったみたいです。
私はH姉ちゃんから、悪い男も多いから辞めなさいと諭されました![]()
H姉ちゃんは老舗の百貨店勤めで、酸いも甘いも見てきて、その立場からのお言葉でした。
親友と企てたアルバイト計画は頓挫しました。
母は、H姉ちゃんが外商で宝石を売るノルマで指輪をよく買ってました💍(裕福な家庭ではありません)
でも、引っ越す時にその指輪を間違って捨ててました。
私の成人式は、N姉ちゃんが着た総絞りの紫の振り袖を借りました、、、が!
渋過ぎて結局他のを着ました👘
おばちゃんは和裁職人でした。
5年後の私の結婚式では、新婦はお色直しもあるし、着物で締め付けられて食べにくいだろうと一口サイズのおにぎりを作ってきてくれました![]()
長男が産まれたら、祭りで着る甚平、ニット帽、ちゃんちゃんこ(綿入れ)、手作りのものを沢山貰いました。
結婚してからは、子供の頃のように頻繁に行くようになりましたね。
おばちゃんの近所の友達が、旦那の勤務先の事務員さんだった偶然もありました。お互い結婚式に呼ばれてビックリ👀みたいな。
砂丘のラッキョウ漬け、梅酒、梅干し、米、鳥取の21世紀梨、お菓子、靴、服、色々たーくさん持ち帰らせてくれました。
いつしか親よりも、私の方がおばちゃんと親密になりました。
本当に本当に、お世話になりました。
実母は早くに亡くなったので、おばちゃんがお母さんみたいでした。
姉ちゃん達から、おばちゃんは私の事は覚えてるよと聞いていたので嬉しかった。
コロナもあり、亡くなった事は親族には知らせてないとの事でした。
おばちゃんは90歳で兄弟も亡くなってるそうです。
私だけには知らせないと、と思って連絡が来ました。
棺のおばちゃんは痩せてました。
それでも棉を詰めて化粧を施され、安らかに眠ってるみたいでした。
顔を見た途端、涙が溢れました。
産まれた時から、可愛がってくれてずっと味方でした。
おばちゃんには感謝しかありません。
遠くの親戚より近くの他人とは、よく言ったもので、おばちゃんとは血縁関係にはありませんが、血が繋がってない親戚だと思ってます。
荼毘に伏す時に、おばちゃんのネックレスを入れようと思ったら金属は駄目なのでH姉ちゃんが良かったら◯◯が持って帰ってって事で形見に頂きました。
大切に使います。
今日のお葬式は行けなかったですが、今度お仏壇に大好物のMorozoffのプリンを供えたいと思います。
おばちゃん、今迄ありがとうございました☺️
居なくなっても思い出はずっとずっと永遠です。
今日の夜ごはん

