メモ記事 | 記録と想い

記録と想い

~記憶がないということ~

解離性健忘症(全生活史健忘症)になって

記事ではなく、見直ししてるとちゅうのメモ


今もほんとうにナニヒトツわかってもいないと思ってるのに、これまでの記事を後から見ると読むと? 言葉がわかってるかのような書き方?使い方?してるように思われる。もうこのブログは削除した方がよいのかな~?と思う。


自分でよくわからない。読み直して意味がわからないものが多いと思う。ただのキチガイなんだろう  


 なんでこんなくせに命は全うするべきとか えらそうに りくつ


ただ自殺もできないだけの くずではないか


こんな生き地獄なほど前世?のような形の時にどれだけ非道い酷いひどいことばかりしたのかな? 


記録として 出来事にからむ内容でなければほとんど削除していいのではないか? 単語?言葉だけは偉そうな?わかったような?モノばかりにみえる。自分で見直して驚くようなモノばかり。ただそれでもその当時なりになんとかしようとしたのだろうし、それは今でもそうだけど、いまだに自分の状況がわかってないのが1番よくないとおもう。でもそんなこといっても・・

なにが解ってなにがわからないのか?ひとりでの判断ではなくて、第三者?も含めて把握しないと、そとの世界には交わっていけないのだとずっと感じてる






胸腺嚢胞について 2016ねん8月から肺化膿症の記事が出始めてる。ぼかしすぎてピンとこない。


肺化膿症と胸腺嚢胞があって決まりがあって順番なので、最初に町医者に行ったら何も診断できずに地元近所の総合系病院への紹介状。紹介状の不備?(病院側が中身が理解できないって言ったんだからよほどのことなんだろう)病院の診察以前のこっちへの対応で揉め始める。「転院したい」「転院は待ってくれ」。先に肺化膿症の治療。自宅療養で薬の副作用がキツくてずっと気持ち悪かったことしか覚えていない。よくひとりで居たかもしれないと今でも思う。


肺化膿症の影(写真等)が無くなってから胸腺嚢胞の診察治療にはいる