⑥))))))))ICUのフザケタ実態(ハラスメント)おまけの猫動画 | 記録と想い

記録と想い

~記憶がないということ~

解離性健忘症(全生活史健忘症)になって

 自分にとって体の異常で「息」が出来ないことは一番苦しい事として存在する。
 「痛み」でもなんでも、勿論苦しい。でも一番はスムーズに「息ができる」事が「地球上」での「生命活動」の重要な要素であり、「生きていること」を感じる。それを大切と思うか他の考え方を持つか?それは人それぞれ。去年までは「我慢」した方だと思う。「呼吸」において周りがどうしようと構わない。  が、こちらが最大限回避する努力をしても「ゴダイユースケ」の呼吸環境を邪魔したりストレスをかけてくる存在は 「力業」でも排除する。

「自分のこともままならない常にわからなくて常に不安と緊張と絶望しかないのに何かあるときはいつもひとり」

何度も書くが、覚えている限りをそのまま書いている。書いていくなかで更に思い出せば加筆修正していく。「ノンフィクション」。

◆垂れ下がってくる髪◆

意識が遠くて体が無意識に暴れた。といってもおそらく思ったほどは動いていないのだろうが。「苦し紛れ」にそうなったのだと後で思ったのを覚えている。そしたら「人の気配」がベッドのふちにきた。

「どうちまちたか~、ヨシヨシたんでちゅか~?“たん”をとりましょうねー、どっちからがよいでチュカ~?」

「(誰だてめえ?👹😠)」 気持ちは感じても痛みと苦しくて そうそう声に出せない。

「はなからでしゅね~  はい はい そう じょうずじょうず・・・・」引き継ぎで聞いていたのだろう。口ではなく鼻から。

「(このやろ✊💢 なんだそのはなしかた?!)」

顔に何かが触れたので 一瞬だかわずかな時間だか目を開けたと覚えている。「髪の毛」だった。「その“くそナース1号”」はどういう風に髪をまとめていたのか?向こうも薄暗い中でよく見ようとしたからだと思うが、顔を近づけただろうときに「見た印象は」額の右側から一部長い髪の毛が垂れ下がって顔に触れていた。1本2本ではない、それなりの束状である。
 処置の間ずっとではなかったが、その「言動(言葉と作業)」に対して「言いようのない“怒り”」だけは一気に高まって痛みと苦しさの中で「怒りの感情」に更に苦しかった。たぶん身体に力が入ってしまうからなのだと思う。怒りを越える痛みと息の出来ない苦しさなのだ。

「(なんでテメェの髪の毛が顔に当たるんだ?あ?!)」

通常、人様の「髪型」はそれぞれ自由になさってよいものと今でも思うし、「自分のテリトリーに関わらない限り、髪型もなにも どんなことでもコチラガとやかく言うことはナニもない。ただし、“時と場合・状況”というのはあって、このときの場合・場所を考えれば “髪の毛は小さくまとめて活動しやすくするべき”ではなかったか?」 ここはICUなのだ。「衛生面!」。それに「口調」。活動に差し障りが有ると思ったし、あの夜のことは「言語道断」。

あの日、感じた範囲で言えば、「患者はもうひとり」ICUに居た。ICUで随分時間が経ってからだったけど。それは高齢者だったと判断出来ていた。「ナースとのやり取り」が時々聞こえていたからたぶん男性。事情は知らないが、「ナースの話し方」が「赤ん坊をあやすような?“赤ちゃん言葉?”というやつ」と思う。事情状況によるが、「赤ちゃん言葉」は当時も今もあまり好きではない。これは「乳幼児」に対する対し方のことなので 「全く使うなとは言わないが、必要以上に多用するのは違うと思う」とか。

入院してる間に見ていたが、「高齢者」によっては、どこもそうなのか知らないけど「話し方」の使い分けが有るらしく、相手によっては「赤ちゃん言葉」での対応をしていた。たぶん病状によっては「言葉の理解」が難しい人もいるのだろう。それはよいのだけど。ここではこれ以上触れない。

「(誰と話てんだ?!バカ!フザケンナこのやろう!)」満足に口もきけない中で気持ちは怒髪天をついていた。その時はそれが全身を緊張させ黙っていても痛くて苦しいのを更に痛く苦しくさせるだけなのに。

「(どういう風にカンガエテンダ?自分のことを)」

わずかな単語位は発することが出来たし、普通に話してくれた方がわかるのだ。「赤ちゃん言葉は今の自分は“体験も”勉強もことばが砕けすぎてかえってわからないから。」それなのに言葉の理解が難しい高齢者に話すような話し方は 一回飲み込んで変換してから意味を考えなければならなかったから、気持ちの上でも更にキツイのに。

「(このバカ!普通に話せチクショウ!フザケンナこのやろうバカ!意味がわからないんだ!わかるように話せチクショウ!)」

ますます痛くて苦しくなる。最初から付きっきりの「ナース」より手際も悪い。そのナースが「1」でできる処置を「「3も4も」」かかって。

その「くそナース1号」は、「痰の処置」以外のこともダラダラダラダラやりがって、肝心な指のセンサーはほったらかしでどこかに居なくなった。

「(スムーズに処置も出来ないのか?!)」

「(こっちの状況ナニもわかってない)」わかっているのは読んだら始めてわかる機械の「画面上」のデータだけだろう。

そいつは少なくとも2回来たと思う。3回目があったかなかったか?4回は無かったと思う。最初の2回が「頭に来て」、
「(こんなやつに身を預けるのか?!こんなやつに?!)」

その後ホースのようなチューブが1本になり、繋がった機械を転がしながら「あの」人のイッパイいるところで「アンナコトニなって」。

「あの日の当直に関わった人間を全員連れてきてください」の要求を「病院」は突っぱねたあの“たった独り”を取り囲んで話した「今でも腸煮えくり返る」「出来事」。

「たぶん休憩」が済んで戻ってきた「ナース」は「吸い飲み」の水の補給やら?しばらく忙しかったのは、あの交代で来た(全く付いて居ては無く、見回りにも来なかった。嫌でも覚えているのだ忘れられないのだ)「くそナース1号」が「患者」への対応を何一つキチンとしなかったからだと その時点で思ったのを覚えている。っていうか忘れたくても忘れられない。「命」を危険に晒したから。

「今だにあの髪ひっつかんで引きずり回してやる」と。思うではなく引きずり回す。「預けるしかない命を遊び半分で危険にさらしやがっIて」。


その後病棟に移動するのだが、ICUでは「くそナース2号、3号・・・」と退院後も1年以上引きずる「不具合」と「フザケタ対応」を取り続けられる。あの時のあの病院のICUは「医療」からかけ離れていた。「断言」出来る。あの時のあの病院のICUは最低以下だった。

当地自治体において「ベッドの数」を「規模」というのなら4つあるうちの これがそのうちの1つの「実態」。大袈裟でもなんでもない。本当の話はまだまだ午前中一杯続く。


「この状況はなんだ?」「この状況も“そんなもん”か?」「こんな時こそどうするんだ?」「訳のわからない状況を知りたいことが?発達障害は病気じゃない?」だからなんだ? こっちの必死は 「病気じゃないから」なんなんだ?「あんたたちはなんの支援をしてきたんだ?」こっちは助けを求めてる。こっちのなにも知ろうとする気がないくせに。

「乖離性健忘」だけじゃおかしなことばかりなんだろうが



    「“仕事だから”の支援なんかいらない」



猫動画

https://youtu.be/Ze9GDXKHch4