④2016胸の病気について「ICUでの出来事はじまり」 | 記録と想い

記録と想い

~記憶がないということ~

解離性健忘症(全生活史健忘症)になって

 2016年10月22日の記事以降を参照してから読んでもらえば伝わることもあるかも。

 入院の前後に起きてたことは当時の記事が詳しく残してあるのでそれから読んでもらうがわか、りやすくなると思います。


 ~「ICU」での事は初めてオープンに書いている。

 ベッドの上に移った直後で色々声をかけられても理解も出来なければ全く反応しきれなかった。おそらく移動後ICUで最初から ついていたであろうナース(当日のICU側の事はわからない。前日に機械的な説明をしに来た「なんだこいつ?」と感じたナースと短時間やり取りしたのみ) から初めて聞く説明で頭に残っている(記憶と書くと“乖離性健忘”と区別が無くなるので)のは「呼び出しのボタン」と、「吸い飲み」についてだった。(吸い飲みについては検索で確認されたし) 
 どの時点でわずかに寝落ちしたのかはわからない。三回そうなった事だけ覚えている。

 「喉は乾いた」。吸い飲みでわずかに入る“水?のはず”それは助かった。それも一晩通してがんばってくれたのは間違いなく一人の担当のみで、これから書いていく。

また、どっちの指かに「酸素の何か?」を測る「指関節分1つ位」のモノが人差し指に着いていたのが、外れると「頭の上で」赤く点滅したのを覚えている。説明はなかった。


 普通に真っ直ぐ仰向けには寝られなかった。とにかく痛み苦しみのなか、「痰」について聞かれながら、こっちは頷いたのか声を出したのか覚えていない。ICUでは通してそうだった。明け方「これでは殺される」と感じてわずかに言葉を発した位。順に書いていく。今朝の出来事のように思い出す。この時点で大小のチューブが全身あちこちに入っていてチューブというより「ホース」のようなものが機械と繋がって覚えているだけで4本あり、全部でどれくらいチューブが入っていたのかはわからない。チューブの跡は残っている。(この手術を境に色々体質が変わったのでは?と感じている) 自分では斜めか横の意識で「右」を向いていたように思う。とにかく意識が遠いのか近いのかも判断できない。“覚えているから意識はあった”という感じ。

 「処置の大半」は「痰の吸入」と「吸い飲み」や「ティッシュペーパーを使ったあちこちの拭き取り」が翌朝迄はほとんど。 最初のうち、痰の吸入は、「喉」を通してのものだったが、自分でも苦しかったし、ついていた担当の人も考えたらしく「鼻からチューブを通すと楽なんですよやってみますか?」というので頷いたのか?声を出したか?鼻からに切り替え直後は1、2回鼻の奥に当たる感じがあったけど、慣れてくると「鼻からの方が余程楽だった」。

(その後のHCUや病室での“痰の吸入”は全て鼻からチューブを通してになった)個人差があるので皆ではないだろうけど、例えば「医療ドラマ・映画等の中で“口と鼻の回り”を覆うタイプの呼吸器のような?マスク?(これも色々用途が有るようだけどそのあたりは知らない)透明なカップのようなものは、自分には息苦しいし熱いし(暑いではなく熱い)だから 身の回りに使われるモノはとにかく「自分」が楽になるものを見つけるべき。

そしてそれはどんどん伝えていく事が大事(無茶や我が儘と履き違えないこと)「点滴用サイズ位のチューブを鼻の入り口から少し挿入するタイプの方が余程楽だったりする。日本のテレビや映画は“治療っぽく”見えるのだろうが、あれを見ると、ちゃんと考証してるのかしら?」とさえおもう。随所にそういうことはあるので、もし体験するときは“自分”の感覚に素直になるべきだろうとおもう。大きなお世話かもしれないけど」

 痰が溜まってくると、とにかく苦しくなり処置が必要になる。その時に必要なのは「コールボタン」なのだが、つきっきりのナースが居てくれた間はボタンを見失っても気づいてもらっていたのが、途中その「たった一人最後朝までついてくれていたナース」が居なくなるときに何度も苦しくて痛い筈の全身を使って「アピール」したのをカバーしてくれたから今がある。

 振り返るから「昼とか夜」の感覚を書いているが、当時は「今」どんな感覚なのか?なにも解らなかった。「とにかく暗い・音がうるさい(空調?)」を全身で感じたということしか。

「そのナース」(後でその存在は確認することになる)が時々傍を離れる時が「あんなになるのか」と今でもハラワタ煮え繰り返ル事が起き始める。覚えている都合三回の寝落ちのうち、その時は、寝ていた起きたという感覚は全くなくて(寝るとか起きるとかの感覚を考える事がない、それどころじゃ無いので。もう呼吸と痰の絡み、全身の痛み等)

 最初の寝落ちのあと起きたというか気がついた感じのあと、人が居なくなった。それは全身で感じた。気配がない。でも足の先(の感覚)の向こうに話し声が聞こえていた。言葉には分解できないけど男女複数「3人位」がとにかくヒソヒソよりは大きな声で話していた。「延々と」だった距離感は解らなかったが間違いなく居たのは“絶対”だった。その時はすぐにナースが戻ってきた様だった。

 その時は目が開いて、視力が悪いのだけど見てわかるところに「コールボタン」はあった。でもそれを掴めなくて。「痰の絡み」と呼吸の楽な割合は「痰の絡み処置」の方が時間も必要だし、楽に呼吸できていた感覚は残っていない。明るくなってきてからだったとおもう。呼吸と「痰の吸入処置」の感覚が開いてきたのは。(呼吸が楽になったということは全くなかった)

さて、アメンバー記事以外では初めて書く「怒り」の出来事が始まる。

ICUには一晩居たと思う。「それ」が「怒り」になったのは術前に前日に来たICU担当のクソナースと全く話が違ったから。

改めてICUでは頼りになった一人を除いて、病棟に移り、大きなチューブが最後の1本になって、繋がった機械を引きずって「病院」に対して最終的に怒鳴り散らして(その時の対応もフザケていた)クレームをあげ、警備員まで巻き込む騒動になり、その後もICUのスタッフどころか病院を相手に「たった一人」でこの訳のわからない「ゴダイユースケ」が立ち回らざるをえないのである。誰も味方は居なかった。~

この訳のわからない状況を誰か理解できるものならしてみればいいと思う。できるわけがない。なぜかって?この案件ダケでもいまだに本人が混乱しているから。

長いので具体的は次で。