じいちゃんの与える人生
12月はじいちゃんが天国に逝った月。
21日。
クリスマスなどたくさんある行事のなかで、一番に思い出してしまうアノ日のこと。
今でも鮮明に覚えてる。
死因は胃癌。
あの日、嵐の日でした。
病院の先生に、もう何ヶ月も生きられないと告げられてから、ちょうど1週間がたつ頃、母から職場に電話があった。
あんな取り乱している母の様子ははじめて、容体が急変したとのこと。
病院は実家から5分の所にある、日本医科大学附属病院。
私の職場からは車で30分の場所だ。
当時20才だった、私はオープンして間もない店舗のリーダーでした。
嵐なのにも関わらず、売場はお客様でごった返してました。
しかも、運悪く欠員が発生して身動きがとれない状況でした。
このまま店舗をあとにするわけにはいかないし、内容も内容ですし、誰にも話せませんでした。
当時は責任者として自分なりに責任を全うしようとしてたんだと思います。
しばらくして様子がおかしかった私に対して主婦パートの一人が涙を浮かべて私の所に怒鳴りこんできました。
なかなかこない母がしびれをきらして電話をしてきてたからだった。
全てを打ち明け、急いで病院まで車を走らせました。
こんな日に限って、中原街道は大渋滞…
結局、電話をもらって2時間後に病院についたら、家族や親戚のメンバーが全員揃ってた。
みんなそれぞれお別れの挨拶を言うためだ。
じいちゃんは昏睡状態でみんなの挨拶に反応すらしなかったそうだ。
私が着いた頃には、もう祖母と母と叔母(母の姉)の家族だけの時間でした。
もう昏睡状態から目覚めることはなく、息を引き取るのを待つしかないと、病院の先生にいわれてたと、親戚の人間が話しているのを小耳にはさみ、遅れた事を後悔しながら急いで病室にいきダメもとで、病室に入れてほしいと泣きながら頼んだら、
祖母が温かく入れてくれた。
「お父さん、ケンがきたよ。来てくれたよ。いまケンはスゴく頑張ってるんだよ。だから応援してやって。」
と祖母が声をかけた瞬間、奇跡的にじいちゃんが意識をもどし、私を探して、聞こえないくらいの小さな声でたぶん「がんばれ」っていってくれてました。
そして少し微笑んでくれました。
病院の先生普通ならこんなこと絶対にありえないと…。
じいちゃんはその2分後に逝ってしまいました。
目尻にたくさん涙がたまってました。
最後に力を振り絞ってくれたんです。
僕にとってはじめての人の死でした。
昔から兄弟のだれよりもじいちゃんっ子だった僕には衝撃的でした。
じいちゃんからはかぞえきれないくらいのたくさんの事を学びました。
できることならさみしくないように自分もじいちゃんについていきたかった。
でも…
どんなに愛する人や家族がいても、あの世には持っていけないけど、じいちゃんが育てた人や、つくった文化や、いろんなものは残っていくんだなって思った。
人に与えたものだけは残るんだよね。
私も、家族や仲間など、人に与え続けていく人生にしようとココロからそうおもった。
これがじいちゃんからの最後の教えでした。
死んでもなくならないもの、それは「与えたもの」です。
21日。
クリスマスなどたくさんある行事のなかで、一番に思い出してしまうアノ日のこと。
今でも鮮明に覚えてる。
死因は胃癌。
あの日、嵐の日でした。
病院の先生に、もう何ヶ月も生きられないと告げられてから、ちょうど1週間がたつ頃、母から職場に電話があった。
あんな取り乱している母の様子ははじめて、容体が急変したとのこと。
病院は実家から5分の所にある、日本医科大学附属病院。
私の職場からは車で30分の場所だ。
当時20才だった、私はオープンして間もない店舗のリーダーでした。
嵐なのにも関わらず、売場はお客様でごった返してました。
しかも、運悪く欠員が発生して身動きがとれない状況でした。
このまま店舗をあとにするわけにはいかないし、内容も内容ですし、誰にも話せませんでした。
当時は責任者として自分なりに責任を全うしようとしてたんだと思います。
しばらくして様子がおかしかった私に対して主婦パートの一人が涙を浮かべて私の所に怒鳴りこんできました。
なかなかこない母がしびれをきらして電話をしてきてたからだった。
全てを打ち明け、急いで病院まで車を走らせました。
こんな日に限って、中原街道は大渋滞…
結局、電話をもらって2時間後に病院についたら、家族や親戚のメンバーが全員揃ってた。
みんなそれぞれお別れの挨拶を言うためだ。
じいちゃんは昏睡状態でみんなの挨拶に反応すらしなかったそうだ。
私が着いた頃には、もう祖母と母と叔母(母の姉)の家族だけの時間でした。
もう昏睡状態から目覚めることはなく、息を引き取るのを待つしかないと、病院の先生にいわれてたと、親戚の人間が話しているのを小耳にはさみ、遅れた事を後悔しながら急いで病室にいきダメもとで、病室に入れてほしいと泣きながら頼んだら、
祖母が温かく入れてくれた。
「お父さん、ケンがきたよ。来てくれたよ。いまケンはスゴく頑張ってるんだよ。だから応援してやって。」
と祖母が声をかけた瞬間、奇跡的にじいちゃんが意識をもどし、私を探して、聞こえないくらいの小さな声でたぶん「がんばれ」っていってくれてました。
そして少し微笑んでくれました。
病院の先生普通ならこんなこと絶対にありえないと…。
じいちゃんはその2分後に逝ってしまいました。
目尻にたくさん涙がたまってました。
最後に力を振り絞ってくれたんです。
僕にとってはじめての人の死でした。
昔から兄弟のだれよりもじいちゃんっ子だった僕には衝撃的でした。
じいちゃんからはかぞえきれないくらいのたくさんの事を学びました。
できることならさみしくないように自分もじいちゃんについていきたかった。
でも…
どんなに愛する人や家族がいても、あの世には持っていけないけど、じいちゃんが育てた人や、つくった文化や、いろんなものは残っていくんだなって思った。
人に与えたものだけは残るんだよね。
私も、家族や仲間など、人に与え続けていく人生にしようとココロからそうおもった。
これがじいちゃんからの最後の教えでした。
死んでもなくならないもの、それは「与えたもの」です。