戦時中の中央気象台(今の気象庁)のトップにいた、岡田竹松という気象学者があった。
彼が後進に説いた心構えに、
「観測の精神」というのがある。
刻一刻変わる自然現象を、観測し記録する上での基本の心構えである。
私が興味を持つ部分だけになるけれど、抜き書きしていきたい。
きっとこれらの言葉は、
今巷をにぎわせている、放射線の強度についてのデータの扱い方について、よい教訓を含むと思うので。
そして、この「観測精神」を踏まえて、今の議論に何が欠けているかを、私の見解を書いていきたい。
「 観測の記録は、精度を増すために測器による読み取り値を用いるが、実は観測者の観察にによる諸現象の記述が、最も大切なものなのである。」
(中略)
「 単に読み取りだけならば、ある種のものは自記器械による方がましである。
気象全体の模様などは決して測器には出てこない。
これらは観測者が絶大の注意を払って観察し、できるだけ詳細に書き付けておくより方法はない。」
今、放射線量を測っている各機関で決定的に欠けているのは、この「観測精神」である。
ウクライナやベラルーシでの土壌調査と、日本でのそれとが、本当の意味で同じか、一般に出回っているのは数値だけで、全体の模様‥‥どのような場所でそのデータが取られたか?風の強さは?ホコリの舞い具合は‥‥といった周辺データがまったく無視され、値だけが飛び交い、互いの不信感を煽ることに終始している。
事実は、一つしかないのに!
(日本では、地域のMax値を探して記録している。果たして外国のデータが同じサンプリングの原則で取られているか、大変疑わしい。というのか、ある団体‥‥名指しはしないけれど‥‥のやり方は、明らかに無原則で、MAX値を探し回って、大騒ぎのネタを探している)
これはモニタリングポストでもそうで、
周囲を除染して観測値が過去と不連続になってしまっている、という例が報告されている。
これに関する記事は、「意図的に低くした」という論調で、非難あるいは告発するものが多いが、
私は、一概に非難しない。
このデータが、まさに数値だけでなく、
露場の環境とともに提供されていたら、違った点で有益なデータとなってくる。
このような環境にまで整えることで、線量を下げることができる
という証拠にもなるし、
このモニタリングポストのデータを今後積み上げていくことによって、
現時点での事故現場から新たに放射性物質飛来している影響をモニターするのに役立つ。
今起きていることは、繰り返されることはない。繰り返されてはいけない質のものでもある。その点は、まさに気象観測と同じ性質を持っている。
だからこそ、詳細にデータを記録し、冷静に分析することが求められている。