世の中には、理不尽と思える事がたくさんある。

聞いたり、見たりしてるだけなら「あ~、大変だろうなぁ…」と思うだけだが、

いざ自分の身にそれが降りかかると、なんとも切なくなる。

「なぜ自分が?」

「なんで私だけ?」

「どうして?」

時にはどす黒い物がお腹の中に湧いてくるのを押さえきれなくなることもある。

その理不尽さは人によって受け止め方は違うかも知れない。

しかし、その内容をどうこう論議するするつもりはない。

その理不尽をどう受け止めるかが重要なわけだ。

割に合わない事を自分がやるはめになったり、

誰かの責任を押しつけられたり、

同じ事をしてるのに、差がついたり、

やらなくていいのに、やるはめにになり、さらにそれに文句をつけられたり、

だれかの尻ぬぐいをさせられて、裏切られたり……。

そこそこ生きていたら、そんな事いっぱいある。

自分だけ貧乏くじ引いたような気分になる。

でも、それでも笑って生きていようと今は思う。

もちろん、もうちょっと若い頃は、これでも人知れずこっそり泣く事もあったのさ。

誰にも言えずにただ飲み込むだけの日々だってあったのさ。


そうすると、何で?何で?何で?私が????私ばっかり……って。


長男の嫁ってだけで、義父母の介護や親戚の付き合いやなんやかんやしながらの、実家の母の介護……。

くるくる走り回って、気を使い、ヘトヘトになっても笑ってたのに、次男の嫁は一切手伝わない、それどころか、集まりにも顔を出さない←納骨にも来ない…、一周忌にも来ない…

それが通用しちゃうんだ…と。この差はなんなんだと…。

でもね、

結局、その後、親戚のおばさまおじさま達が集まる場所に行くと、ニコニコと挨拶もしてくれるし話も弾む。次男の嫁はぽつんと1人でいたりする←だから結局歳の近い私が声をかける事になるんだが…←お人好しだなと自分でも思うww



そういう事です。

見てる人は見てるんだ。



学生の頃、先輩たちに裏方の仕事を全部押しつけられて、目立つところには立たせてもらえなかった時、あまりにも頭に来て徹底的に裏の地味な仕事を1人で完璧にやり遂げた事があった。

あれはもう意地だったな(笑)完全にいじめでしたから。

ところが、見てる人は見てるんだ。

反省会の時に、私の仕事を評価してくれたさらに上の先輩がいた。

私に押しつけてた先輩たちは何も言えなかった。

今でも、あの仕打ちは思い出すだけでも涙が出そうになるが←いじめという傷は治るものじゃないんだ、見ないようにしてるだけなんだよ

大勢の前で暴露された形になって、ちょっとだけ溜飲もおりたものだ。


でも、よく考えてみると、

長男の嫁でよかったよ。あっちの嫁にならなくてよかったよ

いや、「次男の嫁」が悪い訳じゃないよ?そういう立場でもちゃんとしてる人はたくさんいる。要するに常識をたたき込まれた長男の嫁で良かったと言うことです。

そしていじめる側じゃなくてよかったよ。

誰かをのけ者にしたり、一定の線引きをしたり、変な縄張り意識みたいな派閥を作るのが大嫌いになった。




さぁ。

明日もまっすぐ生きよう。