文章は芸術だ。芸術心がないヤツに良い文章はとうてい書けまい。
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 自分の心の声である。

 夏目漱石の『草枕』にこうある↓。

 智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。
 とかく人の世は住みにくい。
 住みにくさが高じると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても
 住みにくいと悟った時、詩が生まれて、画が出来る。
  (……中略……)
 越す事のならぬ世が住みにくければ、住みにくい所をどれほどか、
 くつろげて、束の間の命を、束の間でも住みよくせねばならぬ。
 ここに詩人という天職が出来て、ここに画家という使命が降る。
 あらゆる芸術の士は人の世を長閑にし、人の心を豊かにするが故に尊い。


 「山川塾」に参加したい動機
 もちろん。
 文章が上手になりたいと思う一途な気持ちからであります(強調)
 といえば人間的に純文学並の清純派だが、実は。
 
 うまくいけばデビュー?有名になれるかも?

 ヨダレの止まらぬ不順な動機が……ウッ!
 しかし、こうキッパリと書いてしまっていいのか、
 ちょっと迷うところではある。
 『山川塾」に応募しても、自分に確固たる目標がなければ
 いかんのじゃなかろうか?
 それこそ。
 冒頭に引用した草枕の文を読んでいると、

 書かなければならない理由がなく、これを書いておきたい。

 などという境地にいない自分が、果たして文章を習ったところで、
 上達するものだろうか?
 という葛藤と戦っている最中なのである。
 好きこそものの~という言葉がどこまで通用するかねぇ。

 それこそ、便所で本を読もうと言っている間はどうにもならんか(笑)。


 一人ボケ&突っ込み
 余談だが、
 自分がこうも優柔不断で決断力がなくなってしまったのは、
 
 芥川龍之介の「蜘蛛の糸」

 を読んだせいである。
 たとえば。
 道の水路でてんとう虫が溺れているとする。
 自分がこれを助け、即座に思う。

 「よし、これで地獄に行っても大丈夫だ。助けに来てくれよ」

 と。しかし思ってすぐに、

 「いかん!こんな打算的じゃお釈迦さまは助けてくれない(泣)!!」

 泣きっ面で慌てて先の台詞を取り消そうと必死になる。

 「そんな打算的な心じゃないんです!自分はもっと清らかなんです!」

 ……いったい誰に言い訳をしてるんだ。
 はたからみれば思いっきりアホっぽいじゃないか(笑)。

 
 結局、何が言いたいのかというと。

  こんな打算的な考えのヤツでも参加できるのか

 迷っていると。
 ああ、この迷える子羊に愛の手を…ソーメン(違