本が好きだ言うけど実は、本に関しては嫌ぁな思い出がある。
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こんなブログを書いてはいるが、本を読み出したのは最近のようなものだ。
ウチのかーちゃんは、
「お前は幼い頃けっこう絵本なんかを手にとっていたよ」と言うが、
小学生の時に読書感想文の宿題以外では、
自ら進んで図書館へ足を運ぶことも、
借りることも稀な子供だったような気がする。
本嫌いのきっかけは一年生。
ウチの小学校。
図書室を利用するのは3年生からで、
それまではクラスに20冊ほど常備されている「学級文庫」というものを借りる。
借りるときは先生に伝え、名簿に名前と本の題名を書く決まりだ。
あれは、家庭訪問の時期だったから5月のことだったかなぁ。
その学級文庫にあって一度も手にとれたためしない人気本、
「あんぱんまんとおむすびまん」がその日たまたま本棚に納まっていた。
前から読みたいと思っていたその本。
4月に入ったばかりのものなのに
あまりにも人気があって休む暇もないものだから、
たくさんの本の中にあってひとりだけ、年寄りのような顔をしていた。
いや、顔なんて関係ない。
若くても年寄りでもヨレヨレでも美形でもどんと来いッ!
やっと借りられるこの機会。
「今夜は帰さないよ」
ってな臭い台詞も吐きそうなくらい感極まり。
拳突き上げろ! トキの声を上げろ!ってな感じで
ヤッターーッッ!と叫んだ記憶がある。
しかし。
次の瞬間にはガクリ。
なぜなら、先に触れたように借りるためには先生に一言伝えなけりゃいかん。
その肝心の先生は家庭訪問のために、すでに学校を発っていたのだ。
ということはつまり。
「今日は無理だ」ということ。マタコンドネ... ...
な~んて簡単に諦められるハズもなく……。
何度も何度も本の前をウロウロした。
読みたくて読みたくてたまらなかった。
読みたいけど借りられない。借りたいけど借りられない。
幼心にいろんな葛藤と戦ったんだよね。
勝手に持ち出すのはいけないというのは分かっているから
手を出したり引っ込めたり。
そんなとき。
別の先生が来て「早く帰れ!」と強く言った声が引き金になって、
とうとうその本をランドセルに押し込み、教室を駆け出したのである。
(……持ってきてしまった)
心臓が高なっていたのはなにも走ったせいだけではなかった。
歩くたびにランドセルの中でコトコトと音をたてる、あの本のせい..... ...。
(やっぱり返して来よう)
思ってランドセルから取り出した本。
そこでそのまま返しに行けばよかったのに、
せっかくだからと、ちょっと開いてみた浅はかさ。
結局。
物語の面白さに良心の呵責はどこへやら。
気がつくと、本を読みながら家へと向かっていた。
よくない思い出。
「あんぱんまんとおむすびまん」。
いや~、面白かった。道ゆく車の音も耳に入らないほどである。
二ノ宮金二郎の時代ならまだしも。
本を読みながら歩道のない道路を歩くのは今の時代、はなはだ危険だ。
けれど止められない。
読みながら溝に落ちても、それはそれで自業自得。
それよりもむしろ。
ここで続きを読めないということこそ、恐れるべきものだった。
気がつけば、物語もクライマックスに差し掛かっていて、
ふと陽のかげりに顔を上げたとき、
自分の前に担任の先生が立っていたのである。
思わずも何も、あまりにも驚いて本を隠すことも忘れていた。
呆然と見上げる自分に、
先生は、まず本を読みながら帰ったら危ないと言った。
それから本に視線を落とし怪訝な表情で、
「戸隠さん。本を借りること、先生に言わなかったでしょ?
勝手に持ってきたら泥棒と同じじゃないの!」
と本をひったくるように取り上げた。
戸隠。勝手に本を持ち出したのは事実。返す言葉もない。
「借りるときは先生に言うと決まっているでしょ?
今度からきちんと言いなさい。わかった?わかったら返事!」
返事、と言われてもあまりのショックで声も出ない。
悔しいやら情けないやら、
涙をこらえたウウッという戸隠の情けないうめき声の後、
先生は取り上げた本を手にさっさと車に乗り込み、
あっという間に帰っていった。
……ガックリ。
持ってきたほうが悪い。
そういわれりゃそれまでだけど、何もひったくってかえらなくとも……。
クライマックス云々というよりも、なんだか悔しくて悔しくてたまらなかった。
勝手に持ってきたら泥棒と同じ。
という先生の言葉がグルグルまわって、言い訳めいているけれど、
悪いことをしたと自分でも思っていただけにかなりのショック。
勝手に持ってきたら泥棒と同じ=あなたは泥棒です。
それ以来。
本は絶対借りなくなった。
戸隠は先生曰く
「変に意固地で大人を睨みつける生意気な子供」らしかったので、
もうほとんど意地だったのかもね。
学年が代わっても。
借りようかと思うとそのことが頭をよぎって結局かりずじまい。
そのうち。読み本に対する興味も薄れ、もっぱら漫画本へと注がれていった。
ってなことがあったもんだから。
読み本を再び手にとったのは、高校生。
コスプレマニアの友人に池波正太郎の真田太平記の話を聞いてからだから、
まだ10年くらい。初めて買った小説は↑というわけ。
だから他の方のブログで。
古典やら児童文学をたくさん読んで育ったような人の話を見ると、
うらやましくてうらやましくてしょうがない。
だって。
子供の時に読むのって大人になってから読むのとまるで違うだろうと思う。
感動の度合いや物語が心に浸透する力。
現実になれてしまった今になってはもう、物語と一体化するのはとても難しい。
押入れを開けると違う世界に続いてるなんて、
純粋に想像することもできないからなぁ。
子供の頃にそれらに親しんで培った感性って、
大人になってから手に入れられるものじゃないって思うからさ。
それを持って大人になった人ってスゴクうらやましいと感じる。
文章の節々に現れてるもんなぁ。かなわないよ。
物語を手に取らなかったのは自分のせいだけど。
もし自分が先生だったら、
注意はしても絶対にあそこで本は取り上げないけどなぁ。
そういえば。
「風と木の詩」(美しい少年愛の名作よん)に、
大事なのは罪を犯すことではなく、罪を犯すまいとして真実を見誤ることだ。
みたいな言葉があったなぁ(うろ覚え)。
そもそもどこまでが罪でどこまでが許されるのかっていうのが難しいけれど、
今の自分が善悪を判断できると仮定したら、
知的好奇心によってちょっとだけ本を拝借したあの出来事は、
罪を犯したことにはならないのではないかなぁ。
むしろ、本人にとっては良かったのかも?
なはーんて。
過去のことをどうこう言っても仕方ないけど、
自分の子供の本への好奇心を叩くような者がいたときにゃ、
ちょっとガツーンと食らわしてやらんとね。
だてにキャッツ・アイごっこでトランプ投げる練習はしてないわよっ!
エイッ!(アホ)
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備考:キャッツ・アイごっこは次女のヒトミ役をにーちゃんと取り合っていた。
いま思えば、兄貴。なぜ女役?