息子が不登校になった時の説明をしてくれた | たまたんのブログ

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今は苦しい毎日。

息子が不登校になってからの記録を兼ねて。

戦争ゲーム好きな息子の視点から説明してくれた。


学校3年生ぐらいから5年の初め頃。→大東亜戦争時代

自分で頑張って戦ってきた。このままイケイケの自分で行けると思って頑張った


5年のはじめから秋頃。→太平洋戦争時代

だんだんと戦い疲れてきたけどぼろぼろになりながらも徹底抗戦していた


9月になって爆発(学校でおかしくなって不登校開始時期)したとき→原爆を落とされた


10月以降→焼け野原で何もかも壊れ失った

もう戦えないと絶望しかなく死にたかった


今→戦後の復興してきた1960年位

とのこと。


学校で辛かったのに、く◯んの宿題までやってないと母に責められて辛かったと。身内からの攻撃でついにヤバくなった

その他、昔の習い事も我慢してやってきたけどうわ〜って嫌だった記憶がボディーブローみたいに効きだして

ボクの心はパリンとこわれちゃったんだと。



そうだったね、あの頃の私はこうであるべき、これを出来るようになるべき、これくらいやれないとヤバイよと自分の思う形に息子を当てはめようと必死だった。


息子のしてほしいことなんて全然してやれていなかった。

間違いなく毒親だった。


純に『1年前の僕に声かけるとしたら何ていう?』

と聞かれた。

私は『く◯んなんて計算ばっかり延々とやらされてつまらないよね、お母さんも子供の頃ほんとに嫌いだった!意味ないからやめたほうが良いよ!って言うよ』


純『それを聞いて何か報われたなぁ〜』

とホッと笑った。


そもそも、く◯んは私の両親が純にやらせなさいと勧めてきて勝手に連れて行った。


私の両親、特に母は教育ママだった。

私も何校も塾に行った。

母は良かれと思っていたのだろうけど。つまらなかった。なんの為に塾に行くのか見いだせなかった。受験もしたくなかった。

今でも塾をボイコットして電車で20分の距離の塾から歩いて帰った道を覚えている。


祖父母のプレッシャーから守ってあげられず、私までかつて自分が、嫌だった事をしてしまって反省している。

時は戻せないからこれから変わっていきたいな。