CHAGE and ASKAのデビュー40周年の記念すべき日を迎えました。
いろいろありますけどね… まずは…
Chageさん。
ASKAさん。
40周年おめでとうございます。
紆余曲折・波乱万丈の40年でしたが、今後のおふたりがもっともっと自由に音を楽しんで私たちに素晴らしい音楽を聴かせてくれることを期待しています。
Chageさんはツアーのリハーサルの真っ最中。
年末年始のイベントの申し込みも始まりました。
ASKAさんもツアーの申し込みが始まりました。
そして… まあ、これはみなさんご存じのとおりです。
ASKAさんがCHAGE and ASKAからの脱退を表明しました。
まあ、そうするだろうなと予想というか覚悟をしていました。
もう「脱退」という言葉を使って踏ん切りをつけるだろうな、ということは。
そして、ASKAさんの性格ならば8月25日を選ぶだろうな、ということも。
ですから「脱退」というか「事実上の解散」についてはあまりショックはありません。
解散しようがしまいが、私のスタンスは変わらないし、歌も変わらないし、ってなところが本音。
今は無理だろうから、いつかでいいや。
そのいつかが永遠にいつかでもいいや。
2人が生きて歌っていてくれさえすればいいや。
なんだか達観しているみたいですが、まあそんな感じです。
このブログは過去の記事も残しています。
その時その時に自分が感じていた事実を残しています。
今は違う気持ちになっていることもありますし、今も昔も変わらないものもあります。
それでいいんです。
てるれのんさん、言ってることが矛盾してきてるやん、って思われててもいいんです。
だってその時その時に感じていたことの記録ですから。このブログは。
ASKAさんが好きなことを好きなように書くように、私も好きなことを好きなように書きたい。
誰に言われて書いているものでもないしね。
まあ、いろいろ思うところはありますが冒頭に書いたように
「今後のおふたりがもっともっと自由に音を楽しんで私たちに素晴らしい音楽を聴かせてくれることを期待しています」
が心の根っこにある思いです。
私はASKAさんブログに批判的なことをこれまで書いてきました。
ですからもう数年間はほとんど読んでいません。
何が苦手かはこれまでさんざん書いてきましたからここでは書きません。
今回の2つの記事。
優しさが冷たさになっている。冷たさが優しさになっている。
隠したいけど隠せないでいる。隠せないくせに隠したがっている。
8月25日の前日と当日にこの2つの記事をUPすることの意味をよくわかっている。
短期的に見れば冷たさ。
誕生日パーティーをしているときに「僕は家出するんで、あとはみんなで楽しんでいて!」って言うような感じ?
でも長期的に見れば優しさ。
チャゲアス復活への思いが1年でいちばん高まる日だからこそ復活できないという現時点での結論を伝えるという誠実。
そして、この日だからこそ報道され拡散されるだろうという自己プロデュース力。
目論みどおりかどうかはわかりませんがTwitterトレンドで「ASKA」「CHAGE」「チャゲ&飛鳥」などが長時間にわたって上位に入っており、ユニットを「脱退」するということを揶揄するコメントがいっぱいです。
この自己プロデュース力は誰もできなかったことをやってきたという自負があるからこそでしょうけど…
個人的な本音を言うなら
「8月25日は選ぶなよ」
さて、ASKAさんがChageさんのことをどのように思っているかはブログで読まされてしまいました。
読まされてしまいました。
別に読みたくなかったですが。
Chageさんが本音を40年間語っていないかどうかはわかりません。
本音とは言った本人しかわからない、いや、本人にすらわからないものかもしれませんから。
手前味噌ですが。
私は職場や家族にいわゆる本音を言ったことなんかありませんよ。
いや、本音を言ってはいます。
それはさまざまなバランスを考えた上に熟慮を重ねて最善の考えだと感じた思いです。
ただの愚痴だったり、悪口だったり、我が儘だったり、刹那的な感情であったり。
それは場や時に流された感情ですから「本音」ではない。
やっぱりChageさん。
私と似てるのかな。考え方が。
人見知りだけどサービス精神旺盛。
私も誰かに反感というか、葛藤というか、こんな思いをさせているのかもしれません。
ASKAさん。
隠す、隠す、と言いながら95%までしゃべっちゃう感じ。
承認欲求が強いんでしょうけど、寂しがり屋なのかな…
Chageさんのこと好きなんだろうな。
「Chageの悪口を言っていいのは俺だけだ」って思っているんだろうな。
チャゲアスのこと本当に守りたいんでしょうね。
その守り方がChageさんとは違うんですね。
Chageさんもチャゲアスを本気で守ってくれてるもん。
本気と本気のぶつかり合いだからそりゃ決裂するわな。
でも、Chageさんの活動についてちょっと上から目線なのはいただけないな。そこにはアンパンチ。
ChageさんもASKAさんもビートルズの解散のいきさつについてはよく知ってると思うんです。
それを重ねてしまいます。
ジョン・レノンが小野洋子さんと知り合ってからジョンはビートルズへの熱情が覚めていきました。
ポール・マッカートニーがバラバラになっていくビートルズをもう一度再生させようと思い、計画したGet Backセッション。
しかし、亀裂は逆に深まってしまいます。
そしていろいろあってジョンがビートルズをやめるとミーティングで宣言。
それはマスコミには知られないようにメンバー間でも秘密にされました。
しかし、ポールがソロアルバム発売時に「脱退」を正式に宣言。
ジョンは激怒。
しばらくはソロアルバムでお互いを揶揄する曲を発表しあうという状態に。
(ポールがジョンのことを揶揄したと言われているのが「Too many people」という曲なんですよ。皮肉な偶然… 必然かも)
お互いが直接会って話をする機会はなくアルバムの歌詞やインタビュー記事などで(主にジョンからの)罵倒合戦が続いたんです。
でもジョンはこんなことを言ってたそうです。
ポールの悪口を言う奴に怒りながら「ポールの悪口を言っていいのは俺だけだ」って。
Chageさん… ASKAさん…
ビートルズ好きやからってそんなところまで真似せんでもええのに…
俺たちジョンとポールみたいやな… って笑っていてほしいくらい。
でもね。
この話には続きがあります。
ジョンは子どもができてから子育てに専念するという理由で音楽活動を休止しました。
時が流れてジョンとポールの喧嘩も落ち着いていました。
ジョンはポールへの悪口の歌「How Do You Sleep?」(君の唯一の傑作はYesterdayだ、なんて過激な歌詞で話題になりました)について「あれは僕のことを歌った歌だった」なんて弁解をしています。
ニューヨークのジョンの自宅にアメリカツアーで来ていたポールがギターを抱えて来たこともあったそう。
「あんまり何回も来るもんだから今日は無理だと追い返したこともある」なんてジョンはインタビューで語っています。
ジョンは残念ながら1980年に亡くなりました。
ポールは1981年のアルバムに「君がここにいてくれたら…」と歌うジョンのことを歌った「Here Today」という歌を発表しました。もう何十年にもわたってコンサートで歌い続けています。
1995年にはジョンが遺していたデモテープにポール・ジョージ・リンゴが音を重ねた新曲がビートルズ名義で発表されました。
人見知りで頑固だったジョン。
社交的だけど我が強かったポール。
Chageさんも、ASKAさんも。
お身体を大切に。
喉を大切に。
ギターを弾いたり、ピアノを弾いたりする手を大切に。
生きてりゃなんとかなります。
生きてりゃ。
元気に活動して感動させてください。
未来は自由ですから。
ひとりで歌いたきゃひとりで。
でも、ふたりで歌いたくなったらその思いは隠さないでね。
あと、今回のことはこれっきり何も語らなくてもいいです。
「解散」「再結成」「再加入」など重要案件のみ結果だけお知らせください。
ファンのみなさんもライブに行ける体力と経済力を大切に。
生きてりゃなんとかなります。
私も健康第一。暴飲暴食は控えて、しっかり寝よう。
あのニュース速報で味わった絶望を思えば今回のことなんて平穏無事。あの荒波を思えば凪。
比較する対象がそこって(笑) チャゲアスファンの強さは伊達じゃない。
改めまして
Chageさん。
ASKAさん。
CHAGE and ASKAさん。
デビュー40周年おめでとうございます。
ファンのみなさんも一緒にお祝いしましょう。