この一ヶ月くらいの間に、『ガンダムSEED DESTINY』についてTwitter上で言及したツイートをちょっと抜粋してみました(一部『SEED』、またはDESTINYに関連する範囲で他作品も含む)。こんなこと考えながら見てたんだなー俺。


(11月29日)

  • 種運命20話まで見たけど、これそんなに言われてるほど酷い作品には見えないなぁ。偽ラクス様の慰問ライブシーンなんて「殺伐としたCE世界にランカちゃんが!」みたいな感じですげー面白いし。

  • 種のほうが一本のストーリーラインを割と真面目に辿っていたのに対して、種運命は今のところ話の流れをあまりきっちり絞らずにバラエティを富んだ展開を意識している感じなので、そのへんで違和感を覚えた人が多かったりするのかな。

  • この先どうなるか分からないけど、今のところ(20話時点で)俺普通に種運命好きだわw

  • あと、シンとステラの関係をカミーユとフォウになぞらえてた人がいるので思いついたけど、種運命はZ同様に、前作品に比べて世界全体の構図が錯綜していていまいち分かりづらくなっているので、そこも不評の一因だったりするのかな。




(12月2日)

  • 種運命30話まで見た。世間的にはともかく、俺的にはこれはちっともつまらない作品じゃない。

  • 種運命の続きを見ながらちまちま作っていたガナーザクウォーリアでけた。うん、どこからどう見ても、君は(ジオンの)ザクに似ている。

  • そして種運命も終盤、ラクスがついに公的にも二人になっちゃった。

  • 昨日から続いている種運命一気鑑賞ももう終盤なんだけど、つまらなくなる気配がちっとも見えない。どうやら私のガノタ感性は割とマイノリティ寄りらしい。AGEも割と好きだしね。w

  • 今さらながら最近種運命を見ているけど、なんかシン・アスカってフリットの作中の位置付けにちょっと似ているような気がする。過去の喪失感に対する復讐心が暴走しているあたりとか。

  • よし、SEED DESTINY最終回まで見終わったぞ! これでいろいろ語れそうな気がする! 気がするだけかもしれないけど!w




(12月3日)

  • 種運命を見ていてまず思ったのは、さっきも書いたけどシン・アスカの軌跡がどこかガンダムAGEのフリット・アスノに似ていたこと。もちろん「似ている」のであって「同じ」なのではない。むしろ似ているからこそ、かえって相違のほうが面白い。

  • 戦いの中で家族や大事な人を失い、それ故にその戦いの終結を強く望み、また自らも「戦いを終わらせるための戦い」に身を投じるシンとフリット。だがその戦いの性格が、両者の軌跡を分かつ。

  • フリットにとって、戦いや喪失の根源は目に見える形ではっきり間近に存在した。UE/ヴェイガンだ。それ故に、フリットにとって戦いの終結点とは「ヴェイガンの殲滅」に他ならない。一方のシンにとって、終わらせるべき「戦争」はそんな分かりやすい形では目の前に存在しなかった。

  • 前作のSEEDであれば、人々が喪失感や哀しみや怒りをぶつける対象は「ナチュラル」や「コーディネイター」であったかもしれない。種運命でもある程度それは継承されているが、シン個人の場合は恐らく意図的に、そのへんが「分かり難い」構図にされている。

  • 当初シンの怒りは主に、理念は守っても自分の家族は守ってくれなかったオーブ国家に向けられていた(それはそれで一理あるが)。だがその後のステラとの別れを経て、同じような戦争の中での別離に対する感情をどこに向けるべきか、シン自身も見失ってしまったのではないか。

  • そんな遣り場のないシンの怒りに、デュランダルやレイは明確な方向性を与えてくれた。シンの心が次第に彼等に依存するようになったのは、彼等が「正しい答え」を与えることによって、シンにある種の安らぎを与えてくれたからだろう。

  • 同じように「復讐心に囚われた主人公」であっても、フリットにはこういう迷いや依存心はいっさい見られない。彼の前にはUE/ヴェイガンという明確な「敵」が存在し、彼の悲しみや怒りはただそこにのみターゲットを絞ればよかったのだ。それが幸福だったのかどうかは分からないが。

  • シンの作中の扱いは一般にあまり評判が良くないようだけど、ああやって自分なりの道をとことんまで突き進んだ末に敗れ去る主人公というのは、個人的には嫌いじゃない。

  • むしろ種運命は、シンやミーアのように「敗れ去る人」に積極的にスポットを当てていたようなところがある。アスランも半分敗れたようなところがあるし。個人的にはこれって結構評価ポイントなんだけどな。




(12月4日)

  • 種運命話。作中人物の中でも、ミーア・キャンベルはとりわけ強い印象を残してくれた。ただスターを目指していただけの普通の女の子が、彼女自身ならぬ「ラクス・クライン」としての社会的役割に生き甲斐を感じていき、ある意味その役割に殉じたとも言える短い生涯。

  • 「アスラン脱走」の回で、彼女を連れてプラントを抜け出そうとするアスランに対し、「いや、私はラクスがいいの!」と拒否するミーア。一見滑稽にも見えるこの遣り取りの中に、ミーアの切ない心情が噴出している。

  • 遺されたミーアの日記には、整形後の「ラクス・クライン」としての日々しか記されていなかった。まるでそれ以前の「ミーア・キャンベル」の日々を振り捨てたかのように。でも最後の最期に彼女が誰かに覚えておいて欲しかったのは、元のミーアの顔だった。




(12月11日)

  • 種のブーステッドマン(通称3バカ)と種運命のエクステンデッドを見比べると、前者のほうは性格描写が圧倒的に少ないだけに、やはり「彼等が失ったもの」をほんの1~2カット(アズラエルの回想カットぐらい)でいいからチラ見せしといたほうがよかったんじゃないかなー、とは思う

  • どちらも、戦争という目的のために人格そのものをまるごと手段化させられたという意味で、作中テーマの中で似たような意義を担った存在だけど、種運命ではステラの描写でそのへんがしっかり描かれているので、種でも「手段化前/手段化後」をちょっと対比するようなカットがあってもよかったかも

  • 人格まるごと手段化という点では、ミーア・キャンベルも強化人間たちにちょっと近い存在だとは言える。シンにとってのステラ、アスランにとってのミーア。

  • 過去の無い存在としてのミーアとステラもまた、「君は僕に似ている」一例かもしれない。もちろんステラが生まれながらに不可避的にそういう運命を背負わされていたことと、曲がりなりにもミーアがその道を自分で選び取ったことの間には、大きな違いがあるけど。

  • この違いは、それぞれの相方(?)であるシンとアスランの人生経験の差にも対応しているように見える。シンとステラがまだ人生を選び取る前に背負わされた運命と対峙する一方、アスランとミーアは自ら選び取った後の運命と対峙している。

  • そして自らの運命と対峙するという発想すらないままに、ただ戦争の中で「手段」として生きる以外の選択肢を全く持たなかったブーステッドマンたち。




(12月13日)

  • ガンダムSEEDのBGMで「立ち上がれ!怒りよ」と名付けられている曲(終盤のヤキン攻防戦でキラ達のMS隊が最後の出撃をするシーン等の劇伴)は、11月の仕事ピークの時によく脳内再生されてたなー。気分はプロヴィデンス。

  • RT @robotanime_bot: 「これが人の夢、人の望み、人の業!他者より強く!他者より先へ! 他者より上へ!競い!妬み!憎んで!その身を喰い合う!」ラウ・ル・クルーゼ(機動戦士ガンダムSEED/2002)

  • キラやシン等とは違う意味で、クルーゼもまた世界全体の重みを自分一人で背負い込んでしまったんだろうなと思う。

  • 種シリーズでSEED因子の話があまり掘り下げられず、単なる「火事場の馬鹿力」の象徴表現くらいにしかなっていなかったのは、個人的に結構残念なポイント。あれは人為的に「進化」を促進したコーディネイター等との対比で、「生まれいずる者」が生み出す未来の可能性を示唆するいい設定なのに。

  • ウズミ様の「種は飛んだ…」もそこに引っかけているんだろうし。ていうかそこを強調しないと、そもそもタイトルが「ガンダムSEED」でなければならない作品テーマ上の理由が無くなっちゃうと思うんだけどなー。




(12月16日)

  • 例の動画の影響で作り始めたデスティニーガンダムが一応組み上がった。(本編だけ見終わった時点では、いまいち手を出す気にならなかった…w)

  • 立体物として作ってみると、伝統のトリコロールの本体に、赤と黒の悪魔っぽいウィングを背負っている意匠がよく分かる。「悪魔に取り憑かれてしまったガンダム」というイメージのデザインなんだろうね、これ……w




(12月19日)

  • こないだ作ったHGデスティニー、7年くらい前のキットにしてはずいぶんよく出来てるし付属品もつきまくってるなーと思ったら、当時のHGでは一番評価の高いものだったらしい

  • そして一年くらい前の投げ売り価格の時に買ったジェノアスを今さら作り始めているなど

  • しばらく種プラや00プラばかり立て続けに作ってたから、久々にあげプラを作ると「あぁあげプラはやっぱり進化してるんだなぁ」と実感する

  • ゆうべはジェノアス作りながら種運命二周目の中盤、ステラ様崩御~キラ撃墜あたりを見ていた。キラは必ずしも絶対不殺じゃなくて、他に止める手段がまったく無い時には殺すのも止む無し、という腹の括り方はしてるのね。ただその相手がステラだったもんだから、その後いろいろとこじれまくって……

  • シンはかつての辛い経験から「戦争から誰かを守る」ことを決意していたんだけど、その「守るべき対象 」がステラになってしまったことで、守れば守るほど他の誰か(主に不特定多数のベルリン市民)の命を奪ってしまうという矛盾に陥ってしまった。

  • 一応ザフトという組織に属してはいても、シンはあくまで自分自身のミクロな個人的視点において「守る」ことにこだわっていた。それはオーブの理念というマクロ的な「大きな言葉」に家族が殺されたという認識にも由来しているのだろう。

  • だがミクロな視点にこだわりながらマクロな「戦争」に立ち向かうという非対称的な対峙の構図は、それがシンの望みである「平和」や「守ること」をかえって遠ざけることによって、シンをますます頑なにしていく。




(12月20日)

  • 種運命ではキラとラクスが万能キャラになりすぎたので好かないという意見をよく見かけるけど、個人的にはそんなに万能キャラだという印象はないんだよなー。よく言われる「キラがシンから主役を奪った」という印象もない。シンよりアスランのほうが主役っぽいとは思ったけど。w

  • 確かに後半のOP映像ではキラとストフリが一番目立ってるけど、作る側の思惑は別として、俺個人の目から見ればキラやラクスは物語を順調に回すための都合のいい狂言回しかデウスエクスマキナになっちゃって、「主役」に必要な人物描写の掘り下げが足りなさすぎる。

  • その点では、方向性に対する好悪こそあれ、「主役」に相応しい人物描写の掘り下げが行われていたのは間違いなくシン(とアスラン)のほうだったと思う。シンを主人公にしたピカレスクロマンみたいなものだと思えば、種運命の物語は世間で言われているよりずっと一貫したものだったんじゃないかなー。

  • アスランと言われてエリ8より先に種を思い出す程度には俺も染まったなぁ




(12月22日)

  • ラクスとミーアは、見た目がよく似ているからこそかえって違いが際立つという対照を踏まえた描き方になっているので、アスランとの関係にもそういう違いが出ているとは思う<RT

  • ミーアのほうが表面上はアスランをより強引に引っ張っているけど、デュランダルの元から脱走するアスランを引きとめられなかったように、ここぞというところでは彼に影響を与えることができない。ラクスは逆に肝心なところだけガッチリ押さえて後は「あらあら~」と放任している感じ。w

  • やっぱりラクス様の方がこわいw




(12月24日)

  • また種運命の話。最終回のレイの心変わり(?)がいまいち納得いかないという意見をよく見かけて、俺もまだあのレイの描写の意味を上手く消化していないんだけど、作中の位置付けなどから『地球へ…』のキース・アニアンに近いところを狙ったのかな? という気はしている。

  • 前述の「納得いかない」意見の中に、最後にデュランダル議長と対峙するのはキラじゃなくてシンのほうがよかった、それならレイも「最後に議長ではなくシンとの友情を選んだ」ということで話がきれいに収まったのに、というのがあって、なんとなくキース説を思いついたんだけど。




(12月25日)

  • きのうフォビドゥン作りながら、種MSの中でもこいつの人外感はケタ外れだなーなんてことを考えていた。もともと種MSってPS装甲みたいなチート設定が割と多いけど、攻守ともにビームを湾曲させるのは絵面的にも「こいつはヤバイ」感じが強くて、死神モチーフにもピッタリ。

  • 乗っているシャニも、3バカの中では一番感情の起伏が少ない(それでも相当に情緒不安定だが)上に台詞も棒読み演技なので、「生きている人間」感がもっとも希薄。そのシャニを落としたのが、種で一番感情の起伏が激しいイザークだというのもなんだか皮肉ではある。

  • そういえばチート死神機のフォビドゥンを落としたイザークの愛機デュエルも、初期GAT-Xシリーズの中では最初に開発された「基本形」で、ザフト側のジンを除けば設計・製造がもっとも古い機体なんだよな。このへん狙ってやったのかしら。




(1月2日)



(1月3日)

  • RT @itoi_shigesato: 天皇の新年のことばのなかにあった「これからも、皆で被災地に心を寄せて過ごしていきたいと思います」の「心を寄せ」というのはとてもいいなぁ。心を寄せようね。

  • 「どのように寄せるか」という寄せ方のスタイル(?)を巡っても、いろいろ議論は起こりそうな気がする<RT

  • こないだ見ていた種運命では、オーブが地球連合と同盟を結んでプラントと敵対するか否かで政府内が紛糾している(というよりカガリ一人が同盟に反対している)というところで、面白い遣り取りがあった。

  • ザフトの急進派(旧パトリック・ザラ派)残党が引き起こしたユニウスセブン落下による惨事を機に、地球上ではプラント=ザフト=コーディネイターに対する反感が再び盛り上がり、その世論を受けてオーブもまた反プラントへと政策の舵を切ろうとする。

  • 「理念も大事ですが、我らは今誰と痛みを分かち合わねばならぬものなのか」 「けど、痛みを分かち合って……それは報復を叫ぶ人たちと一緒になって、プラントを憎むってことじゃないはずだ」 (PHASE-08「ジャンクション」より)

  • このへんの展開について、個人的には「これが直にHDリマスターでリリースされるなんて、何とも時宜を得た話だなあ」と思ったものだ。

  • これはどちらか一方に限った話ではない。どちらであっても、互いに相容れない他方の見方の中に余分な「悪意」を読み込む時、「心を寄せる」行為もまた「憎悪」を増幅する可能性がある。

  • RT @io_st: 楽しくもやっかいな存在だよねぇ~HDリマスターセレクションも。こんなもの放送しちゃったから、希望って言うか、可能性が出てきちゃった訳だし。人はまだもっと先の劇場版まで行ける、ってさ。 #g_seed #tokyomx

  • 元ネタはバルトフェルドの台詞か。エヴィデンス01を指して「こんなもの見つけちゃったから、希望って言うか、可能性が出てきちゃったわけだし。人はまだもっと先まで行ける、ってさ。この戦争の一番の根っこだ」(PHASE-19「宿敵の牙」)

  • その前段のバルトフェルドの台詞にあった、「羽もあってそんなにクジラっぽく見えないエヴィデンス01が、なぜ『クジラ石』と呼ばれているのか」という疑問の提示は、答えこそ作中で明言されてはいないものの、この問い自体が『SEED』全体の作品テーマの暗示になっている。

  • 人は未知の存在・未知の他者に出会った時、まず自分の持つ過去の経験・知見の枠組みにそれを(時として半ば無理やりに)当てはめることによって、対象を馴染みのカテゴリー的分類の枠内で「理解」しようとする。それから外れてしまう「理解を超える」存在に対しては……どうするのか?

  • RT @ynabe39: 「一般にはそう」であっても「自分は違う」ということはいくらでもあるんだから堂々と「しかし自分は違います」と言えばいいじゃないか。無理に「一般にそうではない」と言おうとするからわけがわからなくなる。

  • 主張のポイントが、「自分が違うこと」ではなく、「『自分が違うこと』が根拠づけ・正当化されていること」にあるからじゃないかと邪推

  • 自分の物の見方が「正当化されているか」「根拠づけされているか」「“正しいもの”としてオーソライズされているかどうか」に拘りすぎて悩むキャラと言えば、あのアスラン・ザラもそんなところがあるよね。そこに拘るか否かが種運命でのキラとアスランの対照ポイントにもなっている。




(1月4日)



(1月5日)