こんにちは! 弘記です。

今日も、みなさんの役に立つ話、面白い話をお送りします。


今日のテーマは

「 「無知は罪である」ってどうなん?? 」

という話。


知らないことは罪であるみたいな
ことを言われることがあります。

理屈はこうです。

「知っていれば、犯さなかった
   罪や失敗、迷惑がたくさんあるやろ」

とはいえ、最初からすべてを
知っている人なんかいません。

人間、常に新しいことを学び
失敗を繰り返しながら生きています。

それを罪と言われてしまったら
完璧な人間以外、許されない、卑屈な人間
ばかりの世界になってしまいますねw

「罪」と「罪でない」の境目というのは
結構、微妙なラインだと思うんですよね。

すべてを知ることはできない。
だからと言って、知らなかったでは済まされない
ということが、世界にはたくさんあります。

例えば、科学が発達すると自然が壊れる
ということを、人間は知らずに科学を使い始めた。
けど、自然が壊れ、地球が壊れたら
人は生きていけなくなってしまう。

最終的に人間が滅びるような自滅の道

知らなかったでは済まされない。
知らないまま、氣づかないまま進んでいけば
人類が滅びるかもしれない。

現代では科学が自然を壊すことをみんなが
知っているけれど、それでも科学の力を使えば
自然を壊さずに科学を使い続けられると
頑なに信じている。

というより、科学のない世界が受け入れられなくて
希望的観測でもって、きっと大丈夫
くらいに思っているのかもしれません。

ですが、現状、科学技術を使った今の社会は
地球を壊し続けている。それは科学が証明している。

こういった現状を知らなかった・・・
仕方なかった・・・

で、済まされてしまうと、もはやコメントの
しようがないというか、そこは知らなあかんよね?
みたいなことなわけです。

だって、人類滅んだら元も子もないやんw

知らないことは罪であるというのは、言うたら、

「常に知る努力をしよう!」

「真実と向き合う勇氣を持とう!」

みたいな感じなわけですよ。

無知は罪であるをちょっと深めると

「知らなかった」ではなく

「知ろうとしなかった」


「知らなかった」ではなく

「真実と向き合う勇気がなかった」

ということなわけです。


さらには、知っていても行動できなかった
なんてのもありますね。

どれもこれも「罪」とは言いますけど
他人に迷惑をかけるだけでなく

知らないことで一番損をするのは
自分だったりするんです。


いっそのこと「無知は罪である」ではなく

「無知は損である」

と言い換えてもいいかもしれません。


知らないってのは損なんです。

時に、知らないというだけで恐怖の感情に
囚われることも多々あるんです。


学ぶ、学習することは得なことです。

ぜひ、できるだけ多くのことを死ぬまで
学び続けましょう!


今日も、陰陽の知恵を学んでいただき
ありがとうございます。

また、次回、お会いしましょう。


自然治癒力を高め運氣を上げる開運サービスはこちら
https://dicetcm.wixsite.com/moonlight/blank-3