こんにちは! 弘記です。

今日も、みなさんの役に立つ話、面白い話をお送りします。


今日のテーマは

「 少人数教育の良さと小規模特認校 」

という話。

今日は娘の通う学校と教育の話をしようかと思います。

娘の通う学校は全校生徒30人、一年生が娘含めて3人という
田舎の小さな、小さな学校です。


我が家は姫路の山に囲まれた田舎にあります。
まさに田舎の過疎地域の学校の典型。

いつ閉校してもおかしくない・・・
というのも事実だったりはしますが
当面は大丈夫そうです。

それというのも、ぼくの住む地域と学校の
人たちがものすごくモチベーション高く
頑張ってくれたおかげで、「小規模特認校」
という学校制度を取り入れて
学校を存続させることに成功したんです。

小規模特認校は読んで字のごとく

「小規模=生徒の少ない小さな学校」を

「特認=特別に認める」

という制度です。


田舎の過疎地域の学校というのは
普通は先生の人件費や施設の維持管理費など
総合的に見て採算が合わないので閉校に
なることが一般的です。

ですが、そこは国家権力の独断と偏見?
採算度返しで、過疎地域の活性化と新しい教育の試み
という二つの理由から、小規模特認校制度と呼ばれる
態勢が生まれました。

なぜ、採算が合わないのに学校が存続できるのか?
言うなれば、実験と未来への投資です。

過疎地域が増えて、人がいなくなった村や町の
後始末にかかる手間と費用を考えたら安いものだし

今まで日本の学校教育制度ではしてこなかった
少人数のメリットを活かした教育によって
優秀な人材が育てば、将来的に日本の国力が上がる

そんな思惑があるのではないかなと想像します。

さて、実際、どんな制度なのかというと
入学を希望すれば学区に関係なく、市内の住人なら
どこからでも通うことができるという制度です。

ただし、多少、面談やらなんやらがあって
受け入れ可能かどうかの簡単な審査のようなものは
ありそうな雰囲氣です。これも学校によります。

でも、小規模教育を目的としている学校ですから
あまり大人数を受け入れるわけにもいかないですよね。

だからと言って、人数制限を設けるほど
多数の応募者がいることも珍しいようですが。


そんな田舎の学校ですが、来年度(令和5年度)入学の
生徒を募集したところ15人も集まり、入学が決定しました。
全校生徒30人の学校ですから、15人も入るって
すごいことです。

娘の学校は小規模特認校としての活動自体は
始まっているものの、実際に生徒が入ってくるのは
令和5年度が初です。

他の小規模特認校では1年目から
こんなにたくさん集まることは
あまりないそうです。

学校の先生方や地域の方々の努力のたまもの!

というか、シンプルにすごく
いい人たちばかりなんですよね。
僕の住んでいる地域は。

ぼく自身が移住者で、元々、外の人間ですが
とても暖かく迎え入れられ、本当にみなさん
良くしてくださいます。

田舎あるあるの偏屈で迷惑な人みたいなのは
いないですし、よそ者排除みたいな雰囲気もないし
そんな人もいません。

我ながら本当にいいところに
引っ越せたなと思います。

本当に面白い地域で、移住者もちょこちょこいますし
自家焙煎珈琲を出す、地域住民のための憩いカフェを
する人もいるし、先日は、マルシェが小学校で開催されました。

思いのほか、本格的でおしゃれなマルシェに
なりましたが、それを企画、実行したのも
うちの地域の人の一人です。

イスラム系の外国人一家も住んでいて
日本育ちの日本語ペラペラ外国人の子が
小学校には通ってたりしますし

交番勤務のおまわりさんの子どもも
小学校に通っています。

学校の子どもたちは本当にみんな素直で
優しい子たちばかり。見ていてほのぼのします。

さて、前置きが長くなりましたが
「少人数教育」というものをみなさんはどう考えますか?

実際問題、採算?の問題があるので
そうそうできることではないですが
少人数教育をメインの教育法にして
大人数の学校教育を補助的に使うほうがいいと
思っています。

採算とは言いましたが、それは一般企業が行う場合。
教育は国を作るうえでの基本であり
もっとも重要な要素の一つです。

未来への投資という意味で考えるなら
これほど有益なことはありません。


ですが、一般企業では目の前の利益の確保が
必要で、そうそう少人数教育はできない。
一部のお金持ち相手にならできる程度。

だからこそ、少人数教育は国が国家事業として
取り組むべきことだと思います。

教育に詳しいわけではないけれど
素人目に見て、少人数教育はメリットの方が
多いように思えます。

先生が一人一人の生徒にじっくりと
向き合って真剣に、しかも十分に教育する
ことができるのは明らかです。

それぞれに学びのペースや得意、不得意が
違う子どもたち、それぞれのペースに
合わせて教育を進めることも可能です。

また、手間暇かかるような教育手法も
少人数であれば実現できるでしょう。

移動も氣軽にできるし、授業全体として
柔軟に進めていくことができる。

デメリットは何か?ちょっと考えてみたけれど
あまり思いつかないのでネットで調べてみました。


< ネット上に上がっていたデメリット >
・もし、合わない人がいたら逃げ場がない
・多様な人間性を学べない
・仲間意識、団結力が強まる一方で競争心が育ちにくい
・イベントや行事などの盛り上がりに欠ける

などといった話が出てきました。

一つ目

「もし、合わない人がいたら逃げ場がない」

これは確かにその通りかもしれません。

でも、それはデメリットであると同時に
メリットでもあると思います。
逃げ場がないから合わない人とも
向け合わなければいけない。

ぼくは小学生の時、生徒1000人近い
マンモス校に通っていたのですが
ぼくが子ども時代を振り返って感じたことは
人間関係が希薄だったことです。

大人数だからと言ってみんなが
そうなるわけではないけれど
人づきあいが得意でないような子どもは
大人数の中にいると馴染めず
一人孤立しがちです。

そして、トラブルがあってもすぐに
逃げてしまい、相手と真剣に向き合う
機会がないまま過ごしてしまう。

大人数の学校のデメリットは
人づきあいの苦手な子どもに多大なストレスと
人間関係の作り方を学ばせてくれないところです。

人づきあいの苦手な子どもは
人数が多いというだけで委縮する。
そうすると、そもそもとして人間関係の
作り方を学べない・・・というか、それ以前の問題。

人と向き合うこと自体をやめてしまいます。

そういう子にとっては田舎の小規模校は
とてもありがたい存在と言えます。

人づきあいが「性質として」苦手な
子どもがいるというのは、事実です。

*当然、大人にもいます。そういう子が成長すれば
 人づきあいの苦手な大人になるので

これは観察からもわかることだし
占いから見る、その人の性質としても
明確に存在すると断言できます。

これは努力でどうこうなる次元の問題では
ありません。確かに単純な能力として
できる、できない、という話であれば
訓練次第でどうとでもなるでしょう。

ですが、それは「できる」というだけで
耐えられるわけじゃない。

苦手な人が無理に広い人間づきあい
社会の求める人間づきあいをすると
ものすごいストレスになります。

これはどんなに努力しても
慣れることはありません。


そして、自分の性質に合わない生き方をして
無理に人づきあいをすると人生全般
狂うことになります。

これを算命学では

「宿命と環境が一致していない」

と言います。

これと同様に

二つ目


「多様な人間性を学べない」

と言うのは、ぼくの中では
デメリットではないと思っています。

人づきあいが苦手な人というのは
そもそもとして、多様な人間性を
学ぶということ自体があまり必要ないとも
言えるし、学ぶにしても他の人とは
学ぶステップが違います。

ぼく自身がそうであったように
まず、自分の足元を固めて、安定を得た上で
他の周囲の人との人間関係を作っていったり
人間関係を作らないまでも、いろんな人がいる
ということを学ぶ。

しかも、人間関係が苦手な人は
少しずつ、一人ずつ、ゆっくりと学ぶ必要がある。

大規模校で一度に多くのタイプの人と接すると
キャパオーバーでパンクしてしまい
逆に学ぶことができず、学ぶこと
受け入れることを拒否してしまいます。



三つ目

「競争心が育ちにくい」


これは小規模うんぬんより
教育方針の問題かなと思います。

競わせれば競争心が育つし
競わせなければ、競争心は育たない。

娘の小学校に関していえば
競わせない、優劣をつけないみたいな
教育方針のようです。

運動会は必ず引き分けになるように
仕組まれていたりします。

ぼく個人としては、そうまでして
勝ち負けをつけないというのは
逆に良くない氣がするので
機会があれば、学校側に話してみようと
思ってはいますが。

優劣をつけるということは差別とか
弱者を虐げるとか、そういうことではありません。

自分の立ち位置を見極めるということです。
勝ち負け、優劣に差別的な感情を持つことこそ
偏見の温床と言えます。

学校で教えるべきは、勝ち負けや優劣に対して
フラットに接する姿勢だと僕は思います。

なぜなら、学校がどんなに勝ち負けが
重要じゃないとか、人を優劣で判断しては
いけないとか教育して、学校内で優劣を
つけなかったとしても、社会に出たとき
そこには厳然とした競争社会が広がっています。

良い悪いは関係なく、上下は存在するし
優劣も、勝ち負けも存在する。

そして、そういうものがあるからこそ
面白い世界というのが存在するんです。

一つの例はスポーツの世界や
音楽、芸術の世界ですね。

スポーツで勝ち負けがなかったら
全然盛り上がらないと思いませんか??
選手にもプレイに真剣みが出ないでしょう。

一生懸命勝つために努力して、全力で取り組む
その姿にこそ、感動と喜びを
観客は覚えるのだと思います。

芸術、音楽の世界は客観的な指標こそないものの
感覚的な漠然とした優劣があればこそ
より良いものを生み出そうと努力し
より素晴らしい芸術が生まれます。

これも「陰陽」です。

人間は相対的に比較しないと物の良し悪しを
判別できないという原則をよく理解する必要がある。

より良いものを作ろうと思ったときに
自分より上のもの、下のものという相対的な
評価ができないと、物事は向上していかないんです。

もし、その相対的な比較や優劣がなかったら
目指すべきものが何なのかわからないからです。

まとめると、現実に存在する優劣、勝ち負けを
隠して見えないようにするのではなく
そういったものがあると認めた上で偏見を持たない
という教育をするべきなんだろうと思います。


さて、最後の4つ目

「イベントごとが盛り上がらない」

これは確かにその通りと言わざる終えない。

やっぱり、大人数で一つのことに取り組み
何かを達成した時の方が、参加した人も
傍で見ている人も、より強い一体感と感動
感じやすいのではないかと思います。

ですが、少人数でイベントごとに取り組む
メリットもあります。それは全員が中心的な
動きをすることができる、という点です。

生徒の多い学校では、どうしても中心となる
委員会や生徒会といった人たちが取り仕切り
あれこれ決めて、実際に行動し、取り組んでいきます。

その他大勢の生徒はただ言われるままに
やらされてお終いです。

そこに主体性は生まれにくいし
実務能力や責任感、行動力、参加している意識
といったものは、どうしても身につかない。

少人数学校のいいところは
全員が主役になれることです。

この違いは正直、とても大きいと
僕は思います。特に自己承認欲求の強い子どもは
大人数の学校で学校運営の中心になれないと
劣等感に苛まれたりもするでしょうから。

なんにせよ、少人数の学校は
教育的メリットは大きいように思います。


さて、本日は娘の学校の宣伝も少し含めた
お話でしたが、少人数教育はとても興味深いです。

逆に大規模学校は必要なのか?
メリットはないのか?みたいな話もありますが
当然、メリットはあるでしょうし
大規模な学校もあったほうがいい。

結論を言えば、少人数があっている人もいれば
大人数の方がいい人もいるんです。

これも、占い的視点ですが、少人数があっている人は
田舎留学して小規模教育を受けるのが最適だし
逆に大人数があっている人は、田舎の小規模学校に
通っていると、その有り余るエネルギーを持て余します。

鑑定したらすぐにわかることなので
こういったことも、含め、算命学という名の
運命学、人間学を国家運営や会社経営に
活かせないものかといつも考えてしまいます。

元々、国家運営のための占いですしね。

もし、登校拒否、引きこもり、いじめ等
学校が合わないのではないかと言う
可能性をお持ちの方がいれば

一度、ご相談ください。


今日も、陰陽の知恵を学んでいただき
ありがとうございます。

また、次回、お会いしましょう。


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