これを読んでいる方にお聞きします。


ハートの辺りに自分って感覚はありますか?

いまここで、感じてみて下さい。

どうですか?


ありますよね。


私って感覚が。


何か中心にあるものが。

一週間ほど前、朝目覚めた時、あることに気づいたのです。


その、自分って感覚がなくなっていたんです。


あれっ?ないって感じで。


前日までは確かにありました。


それを、思考も何もない本当の自分と思ってました。


それを見る時、見る側とその感じるものはどっちが本当の自分なんだろうという疑問はありましたが、それがなくなった後は、見る側だけが残った感じです。

つまり、(今まで感じていた)自己というものがなくなった訳です。


自己を自己とたらしめるものがなくなる。


これ、めちゃくちゃ楽ちんなんです。

今まで、目覚めだとか悟りだとかを語ってましたが、自分と感じていたものがなくなり、そもそもの前提が覆りました。

まあ、確かに、普通ではない感覚はいくらでもありました。


自分が消えたり、思考のない状態に自在に行けたり、その無と思われる感覚に浸り、あ〜気持ちいい〜とか、目の前の光景をありありと感じるとか。


自己はどっかでこれらを持ち運んでいたのです。


このような経験をしている自分として、僅かに自己を確立しようとするものがあったような気がします。

この、私というエネルギーは、私を確立させる源泉のエネルギーのような気がします。


そして、このエネルギーがなくなった。 

『私はいない』はこれのことです。


理屈ではなく、自分って感覚がなくなることです。

いずれにしても、ここからは悟りとか目覚めという言葉は出てこないですね。


解放という言葉がしっくりきます。

今後は、ここからの気づきを書いていきたいと思います。