先日から本の整理をしています。
ドラえもんがいたらな…と願うくらい勉強したいこと山ほど。
ドラえもんの道具で好きなのが
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欲しい〜^ - ^




本の整理をしつつ、易占の勉強のために図書館へ行きました。
その道中で、お母さんと歩く2歳ぐらいの少女を見た時に0歳から知っている友人のこどもが頭をよぎり。
今は小学校一年生で、たまに会っても冷たくあしらわれるようになりました笑い泣き
あの頃は、懐いていたのになぁ。
おばちゃんさみしっ!
自分の世界が構築されて広がっていく年頃。
寂しいけれど仕方がない。
元気で幸せであってくれたらいいなと思います。

そんなことを考えていたら
自分の亡き叔母が浮かびました。

20年前に亡くなっています。

叔母が亡くなる前は私は高校を卒業したばかり。
小学校まではよく叔母と祖母の家に遊びに行っていました。
高校生になると、疎遠になり
たまに会っても私は遅れた反抗期で親と喧嘩していましたから、叔母にも冷たかった気がします。
とにかく大人が嫌いだった。


叔母が入院し、お見舞いに行った時に
無理して起き上がって私にお小遣いをくれようとするのです。
肺を悪くしていた叔母はずっと酸素マスクをはめていました。

その数日後に亡くなり

叔母は私達3人兄弟にそれぞれ10万円ずつ残してくれていました。
叔母は、お金持ちではないし
どちらかといえば金銭の苦労があったかと思います。

それでも貯めていてくれたのでしょうか。

私は叔母に何もしてあげれてない。
与えられなかった愛。

愛とは甘美だけではなく
陰と陽があり
どこか秋の物哀しさのように
悲しみや切なさを含んだ愛もある。

自分がまわりの人たちに与えることができなかった愛が存在するけれど
それ以上に与えてもらった愛があり
その愛を感じる時に
私の心には

喜びと切なさが同時に存在する。

そしてそれとともに私は生きる。