ちびまるこちゃんとわたし。


ちびまる子ちゃんが
アニメ化されたのは
私が小学校4年の時だ。


以来、私はずっとちびまる子ちゃんや
さくらももこ氏が好きで
もはやちびまる子ちゃんの存在は
同級生のようなもので
さくらももこ氏に会ったことなどないのに

どこか昔から知っている人のような
そんな錯覚にさえ陥る。


今でも
ちびまる子ちゃんを観ると
私は小学校4年の自分に還るのだ。


そんな大のちびまる子ちゃん好きだが
ちびまる子ちゃんを好きな故に
なぜだか批難されたことが二回ほどある。


私は高校生になっても
ちびまる子ちゃんのペンケースを使っており、それはたまたま姉がプレゼントしてくれたものだったのだが

仲良くはないクラスメイトが
美術の時間に


ねー、あの子さー、ちびまる子ちゃんのペンケースだよ!?

うけるー。


と、陰口にもならない
大きな声で悪口を言ってきたのだ。


確かに
高校生になってくると
高校生でも手が届くような
ブランド品や
オシャレな物を使うのだろう。
私はそういう物に
かなり疎い。

あの時は
オシャレな物を知らない
自分への恥ずかしさで
全身がカーッと熱くなり
プレゼントしてくれた姉への申し訳なさ
大切な人を侮辱されたような悲しさでいっぱいになった。



しかしそんな私は
性懲りも無く20歳を過ぎても
相変わらず日曜日の夕飯には
ちびまる子ちゃんをおかずにして
御飯を食べていた。


すると酔っ払いの父が
憎たらしそうに


おめえはまだこんなもん観とるんか!

と、飯がまずくなるくらい怒鳴る。

そして喧嘩をして
夕飯抜きになる。
それ以後、父が生存している間は
隠れキリシタンのように
ちびまる子ちゃんを見ていた。




たかがちびまる子ちゃんで
私は悪口を言われたり
怒鳴られたりしていた。
なんでなのか一向に謎である。
当時は辛かったが
ちびまる子ちゃんを好きなだけで
事件が起こるなんて
それなりに面白い人生だと思う。


しかし、私の姪っ子はすごい。
彼女は高校生になっても
私の父の前で堂々と
ちびまる子ちゃんを見ていた。

父は姪っ子に(孫)
お前高校生になってもこんなもん見とるんか?馬鹿か?
と言った。


隠れキリシタンならぬ
隠れちびまる子の私は
内心ヒヤヒヤしたものだが

彼女は

うん、馬鹿だしー。
これ面白いから見たいし。


と、サラッと言うではないか!


私がそんなことを言ったら
皿の一枚でも飛んできそうなものが

父はハハハと笑っていた。


孫には許されるのか。


いっぺんに悔しさに変わり
姪っ子が怒鳴られないことが
逆に腹ただしくもあり。

喧嘩して夕飯抜きになればいいのにな
なんてよからぬ事を思ったりもした。


姪っ子はサラッとしている。
嫌なことを言われても
あまり真剣には受け止めない。


私はどちらかといえば
悲劇のヒロインタイプだ。


なんでもサラッと受け流せれば
摩擦も生じにくい。


16歳離れた姪っ子から
人生の術を学ぶのであった。




話はもどり。
たかがちびまる子ちゃんなのだが
私の中では永遠のヒーローならぬ
永遠の心の友達なのだ。



例え大富豪の嫁になったとしても

私はこっそり
ちびまる子ちゃんを観るだろう。
そしてその後にサザエさん。


私はちびまる子ちゃんが
大好きだ。