どんな自分も受け入れる


いわゆる自己受容。



ただ、そうである。


という現実を受け入れる

ことなんだと私は思います。

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この本によると

成功者の方は
決してセルフイメージが高いわけではないそうです。


自分がダメだと思う自分も
受け入れている、
いわゆる自己受容ができているとか。



怠け者の自分でオッケーグッド!
な、わけではなく


怠けたくなる自分もいるんだ
という一面を
そう受け入れることをするだけ。



OKではないんです。



自己受容って
なんでもかんでもオッケー
なんでもかんでもイエス

ではないのではないか?


と最近感じます。



怠け者の私~
全然いいじゃ~ん
素敵じゃ~ん

オッケーオッケーチュー


というノリではないんです。




例えば、道を歩いていて
川が流れています。
それを見て、
あ、川があって流れている。
そう認識することに似ています。


川が流れている
綺麗だな
汚いな
ここには、綺麗、汚いという判断や感情が乗っかってきます。

これは受容ではありません。


綺麗だな、汚いなと思う自分もオッケーなのではなく
もしくはノーでもなく


綺麗だな、汚いなと思ったんだな

ただそれだけ。


それが受容なんじゃないか?


勝手にそう思っています。


今、まさに私は

勝手にそう思っているんだな。

ただそれだけ。


イエスでもノーでも
オッケーでもありません。


自己受容は
ただそれだけを認識することなんだと私は思っています。


イエス、ノー、オッケーは
すでにそこに何かしらの判断があります。

なんでもかんでもオッケーでは
成長も発展もありません。


私は怠け者だ
自分はダメだ
そう思ってはダメですか?


そう思うからこそ
強く立ち上がれる場合もある。


そんな自分をなんとかしよう!
と動き始めたりもする。


転んで怪我した自分もオッケーではないんです。


転んでしまった!
何もない所でつまづいてしまった!
靴の履き方が良くなかった?
不注意だった?
今度からは気をつけよう!


気付きが大事だったりもします。


なんでもかんでもイエスは
使い方を間違えると
自分の成長を止めてしまうものになりかねません。
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