言霊学を学んでいます


過去に数回セミナーに参加したことはありますが、普段は独学で理解するのに時間がかかる書物を読んでいます


今、手元にある2冊は小笠原孝次先生のもの


他界なさっている方ですが、書籍に関しては白川伯家の大家の方が監修なさって蘇っている状態です



古文書に続き難解な文章が続いて同じ日本語なのに時代が違うとこうも違うのか…と思いながら読み進めています



それでも日本の言語として読み解いて行くと世界の成り立ちがわかり、問題が解決するようなことにまで発展するのですから不思議です


面白いしやめられません




私が今、通い続けている陰陽道


こちらも全ての宗教の大元かなと勝手に思っていましたが、もちろん宗教ではありません


その考えの大元になったもの…というより今、私たちがしている事・使っている言葉などの成り立ちが分かる学問なのです


伝えている陰陽師の方は学問という括りの教え方ではなく、あくまで例題をあげながら、そもそも…という形で進めてくださいます


そして、聞いているだけで成る程なあと腑に落ちる、落ちる


そういう意味があったんだ…とか、そもそも、そういう風に使われていたのか…という言葉の応酬


そして、それはシータヒーリング®︎の考え方にも通じていてやはり本物は殆ど変わらないもの…ひとつなのだなと実感しています


言葉を上辺だけで捉えず、意味やその影響力含めて考えると更に話す言葉の重みを実感します


一時期、言霊がはやりましたが本来の意味や目的を分かった上で口に出さないと災いが起こってもおかしくない程、日本語には強烈なパワーがあるのです


呪(しゅ)にかける…という言い方がありますが、これは本来、言う・話すという意味でしかありません


言葉は同じ言い方で多方向に使えるので決して呪う(のろう)ということではないのです


我が家の近くの甲山にある神呪寺(かんのうじ)は字面だけですと神が呪う?と不思議な気分になりますが、神がここに建てろと言われた…のが本来の意味だそうです


ただ、それだけの意味です




そして、その言葉の分離というか勘違いが全ての争いの元になったという内容が聖書や古文書から読み取れます


そして、その争いの元になった分離をなかったものに出来る…かもしれない不思議かつ偉大なパワーが日本語にあるのです



これが研究されて世の中に、世界中に広がれば私は紛争など無くなるなと真剣に思っています


家庭の中で考えても、その言葉を言った言わないでケンカが起きる事はありませんか?


そういう意味で使ったのではない…という意味の捉え方でケンカになったことはありませんか?


意外と小さな事が発展して言葉の行き違いも含めて、相手の気持ちも分からなくなってしまう…という大掛かりなものになってしまいがちですよね


まあ家庭の中のことは、まだ話し合えば解決します


ただ家族や友人はお互いの間にある許せる領域がとても狭くガードが緩くなっていて、鋭い言葉が剣のようにグサッと入ってしまうので本来は1番気を遣って話して欲しい相手なのですよ


それと、無闇に多忙にならないで下さいね


忙しいのが好きな人もいますし、スケジュール帳が埋まってないと不安な方もいるようですが、忙しい人ほど考える間も無く言葉を口にするので相手を傷付けやすいような気がします


字の通り、心を亡くしているのでしょう


この言葉を使ったら相手はどう思うだろう…
言われたらどう思うだろう…


という想像力を働かせましょう


そうすれば、本来、争いは起きないはずなのですから


昨今の情勢を見ながら朝から、こんな事を感じてしまいました