古代史、古代書の研究をしています
過去に書かれた書物や事象になぜ拘るの?と聞かれた事があります
最初は単に興味からでした
でも調べていくうちに現代と全く繋がりがないわけではない事が分かって来ました
それもそうです
かつて書を書けるということはそれなりの知識を身につけ残せる技術も持っていたということですから普通の人が書き残したわけではないのです
偽書というレッテルを貼られて世の中に流布しにくかった書物などは特に本物に違いない!といわしめるエネルギーを持っています
そして、その内容がまさに現代への手紙かもしれないと思えるほど大事に書き記され現代人に届くように密かに大切にされてきたのではないかとも思えるのです
中には100回読んでやっと内容の意味が分かるでしょうと解説されているものもあります
そんなに読めるかな…
で、そこから何を学び取っているのか…と聞かれたならば、私は私に出来る事・やれる事を模索しひたすら行動するだけですと答えます
人によって、お役目は違います
家庭の中で一番のお役目を持っている方・外に向かって発信し続ける方・見えないモノとの交信をする方・見えるもので研究を続ける方…と様々です
上記の全部が私のお役目だわ!と思った方もいるでしょう
そうですよね、それのどれが優位かというだけで人のお役目は1人につき沢山あるのでしょう
私自身は会社で財務を数年、情報営業を数年しました
学生時代に情報を集めるの得意だよねと言われたことがあるので情報の中に居るのは楽しい限りでした
ただ仕事としては集める側ではなく提供する側でしたし、必要な方に情報の集め方を知ってもらうという内容…何しろインターネットが普及する前の話なのです
今でも情報収集だけは怠りません
全てを知ってチョイスするのが私のやり方です
もちろん、私が集められる範囲内での全てです
でも、情報はネットだけでなく人からモノからも沢山入って来るのです
それに私は夢の中からも…と付け加えます
それに宇宙からも…でしょうか
耳を澄ましていると
瞑想をしていると
シータ波になっていると
言葉が降りてきます
そんな特技を活かしてこれからも大切な事を発信していきたいです
もちろん、この特技は特に日本人なら誰でも会得できるものです
とりあえず瞑想はしてくださいね
1日のうちでほんの5分ゆっくりした気持ちになり目を閉じるだけです
ヘタに無心にならなくちゃとか、そんなの要りません
というか無心なんてなれないでしょう
それでも瞑想を繰り返し行っているうちに脳波がシータ波優位になっていきます
すると感覚にも変化が起こります
肉体的な感覚です
すると周りの物音が聞こえにくくなったり、身体が溶けたように周りと一体化する感覚になります
これがかつて行者さん達が言っていた無心ということなのではないでしょうか
そう、無心は自然に訪れるのです
願わなくてもね
ゆっくりと意識的に静かに目を閉じるだけです
これだけで右脳が働き始めるとも言われています
だから試験前や授業の前、就業前にほんの少し瞑想の習慣を持つと良いのです
両方の脳が使えるようになるからです
芸術鑑賞に浸りたい時にもオススメです
雑念が自然に湧かなくなってくるからです
無理に湧かせないのではなく自然に…ここが大事なのではないでしょうか
そういった人と自然が溶け合っていた時代の書物だから惹かれるのかなあ
古代書、楽しいですよ
言葉使いも綺麗ですし
失われつつある何かを一生懸命、繋ぎ止めてくれている気がします