アリスは不思議の国の森で、幻想的な巨木に腰掛けながら
「鏡の国のアリス」を読んでいた。
僕はJBスタジオRoute23のロビーで、9tq?yが貸してくれた
ヴォネガットの「タイムクエイク」や「スローターハウス」を読んだし、
リコとリタを最もよく知る女の子は、ブローディガンの
「芝生の復讐」を愛読しているという。
海の色をした見知らぬ青年集団は「ピチカカ反応」を読んだ。
「ピチカカ反応」は全4パートからなる、約600ページもの長編詩集だが
目次しか存在せず、その内容は、察するに実用書のようでもある。
そこからは若原光彦の「詩に対する覚悟と絶望、執着」も感じとれる。
迷著であろう。
さくらさんのことを想う。
とんでもなく被写体力の高いひとに思える。
誰がシャッターを切っても、セルフ撮影であっても、さくらさんは
いつでもさくらさんになることができて、それは才能かもしれないし
努力かもしれないけれど、才能だと思いたい。
才能。って言葉で片付けないと、怖すぎる。
努力だとしたら、途方もない!って思う、こわい。
才能だよねー。すっごい。かわいーね。で済ませて、
観客として、にっこりして終わりにできたら楽しいのに。
愚かな毒沼に潜り続ける偏執狂の如く
「勝ち負け」に囚われた獄中からの視線で私は
ぼくや、あの子は、どうすればいいか。ばかり考えていた。
付け入る隙は「見せ方」にあるかもしれない。努力や工夫の領域。
才能のことは仕方ないから、努力や工夫を私たちは選ぶべきだろう。
たとえばロケーション、でっかいトランプ、雰囲気の良いカギ、光の効果、
くたびれた文庫本、対極を為す2ポーズの衣装、物語の構成。など。
でっかいトランプを抱えて心を失くしたような さくらさんが印象的。
これはアリスなんだ!と思った。 逆に、設定関係なく、
これはいつもの、さくらさんじゃないか!という写真もあって
これは、アリス。
これは、さくらさん。とかってジャッジして遊んでたら
これは!と思った。 アリスも、さくらさんでは!と思った。
そりゃ、そうなんだけど、そこを考えすぎると、さくらさんは宇宙
っていう結論に行っちゃうから、考えすぎちゃダメー
アリスでも、さくらさんでもないような
世界から抜けたオフのような笑顔の写真が1枚だけあって
それは、もう作品なんかではなくって、アートとか才能とか
表現とかじゃなくって、たんなる女の子に思えて、泣けた。
1枚だけ。ってとこが、そのタイミングも含めて、結局は作品で
作為的ていうか計算された表現だということになっちゃうかもしれないし
本当のところ、あんな自然な笑顔さえも天才さくらの演技力!だったり
したら、おっそろしー!のだけど、そんなのどうでもよくって
オフのように思えたことが僕には大切で、それだけが現実だった。
すべての写真が虚構だったとして、僕には現実だった。
リアリティーはリアルじゃない、とクレバっぽい声のひとが有線で
唄っていたけれど、僕には全部がリアルだった。現実しか、ない。
意味を認識できないような記号を連ねて、手紙は汚れていく。
私たち にも、やれることは ある。絶対、に。
「鏡の国のアリス」を読んでいた。
僕はJBスタジオRoute23のロビーで、9tq?yが貸してくれた
ヴォネガットの「タイムクエイク」や「スローターハウス」を読んだし、
リコとリタを最もよく知る女の子は、ブローディガンの
「芝生の復讐」を愛読しているという。
海の色をした見知らぬ青年集団は「ピチカカ反応」を読んだ。
「ピチカカ反応」は全4パートからなる、約600ページもの長編詩集だが
目次しか存在せず、その内容は、察するに実用書のようでもある。
そこからは若原光彦の「詩に対する覚悟と絶望、執着」も感じとれる。
迷著であろう。
さくらさんのことを想う。
とんでもなく被写体力の高いひとに思える。
誰がシャッターを切っても、セルフ撮影であっても、さくらさんは
いつでもさくらさんになることができて、それは才能かもしれないし
努力かもしれないけれど、才能だと思いたい。
才能。って言葉で片付けないと、怖すぎる。
努力だとしたら、途方もない!って思う、こわい。
才能だよねー。すっごい。かわいーね。で済ませて、
観客として、にっこりして終わりにできたら楽しいのに。
愚かな毒沼に潜り続ける偏執狂の如く
「勝ち負け」に囚われた獄中からの視線で私は
ぼくや、あの子は、どうすればいいか。ばかり考えていた。
付け入る隙は「見せ方」にあるかもしれない。努力や工夫の領域。
才能のことは仕方ないから、努力や工夫を私たちは選ぶべきだろう。
たとえばロケーション、でっかいトランプ、雰囲気の良いカギ、光の効果、
くたびれた文庫本、対極を為す2ポーズの衣装、物語の構成。など。
でっかいトランプを抱えて心を失くしたような さくらさんが印象的。
これはアリスなんだ!と思った。 逆に、設定関係なく、
これはいつもの、さくらさんじゃないか!という写真もあって
これは、アリス。
これは、さくらさん。とかってジャッジして遊んでたら
これは!と思った。 アリスも、さくらさんでは!と思った。
そりゃ、そうなんだけど、そこを考えすぎると、さくらさんは宇宙
っていう結論に行っちゃうから、考えすぎちゃダメー
アリスでも、さくらさんでもないような
世界から抜けたオフのような笑顔の写真が1枚だけあって
それは、もう作品なんかではなくって、アートとか才能とか
表現とかじゃなくって、たんなる女の子に思えて、泣けた。
1枚だけ。ってとこが、そのタイミングも含めて、結局は作品で
作為的ていうか計算された表現だということになっちゃうかもしれないし
本当のところ、あんな自然な笑顔さえも天才さくらの演技力!だったり
したら、おっそろしー!のだけど、そんなのどうでもよくって
オフのように思えたことが僕には大切で、それだけが現実だった。
すべての写真が虚構だったとして、僕には現実だった。
リアリティーはリアルじゃない、とクレバっぽい声のひとが有線で
唄っていたけれど、僕には全部がリアルだった。現実しか、ない。
意味を認識できないような記号を連ねて、手紙は汚れていく。
私たち にも、やれることは ある。絶対、に。