よかったですよわりかし
24は第42回はたらく女性の愛知県集会
「場にそぐう朗読」とか、求められているステージが
なんなのかっていう、たぶんこれから考えていくことになる
そういうのの1歩目ていうか2歩目とかを踏み出している。
すなわち誰も殺さなかったけれど、少しの毒は撒いてきたし
それに気付かれないくらいには、まるくおさめてきました。
ずっと何かをやっているうちに、いずれは
場が求めているド真ん中にズバッ!ていう何かを
投げ込めたら、いいな。
それはそれで、やりがいのあることです。きっと。

リコとリタの台本を読み返した女性会館の楽屋で
咳き込みながら枯れた喉で居た。唄いたいだろう。全ての悲しみを
笑うためだ!今週は水曜に唄う!修練の踊り場!旗揚げ公演じゃ!
桜井さんの「処刑場のある丘で」を、バンドでやりますです。

23は朗読勉強会3で、かつてないほど雑談すぺしゃる
だったけれど、すべて詩の話、言葉の話、表現の話、なので
いわゆる充実だった。
ぼくは、やっぱり、どうしても、あの話が一番たのしくって
それはいつでもそうだし、どうにもならないから
どうともしようがなかった。どうにでもなれって思う。

両方あるんだよ
大切に想うのと、どうでもいいの って
両方あって、どっちもダメだ って思うよ。
大切に想い過ぎちゃうから、忘れよう!とか
どうでもいいことにしよう!って考えて、
そんなことむりだよね。。と疑いながら、やってみると
1年も時間があれば、意外と、どうでもよくなっちゃう。
もちろん、すぐ思い出して、名前を呼んでばかりだけれど
それはそれだけのことで、必要とは違うから。
悲しいくらいに平気で生きていけちゃう。いなくたって。

どうでもいい って想うくらいが愛の
ちょうど良い温度なんだとして 納得などしないな
どうしても大切に想いたいのだから。どうしようもない

あいたい
もうすぐ誰かに会えるはずなんだけれど
絶対に会える気がしない。だって既に知ってしまっているし
それを出会いなおすことは出来ないからで、それが運命ではないから
もしかして既に充分なのに、まだ会いたいなんて、野性だろうか
会うことは素晴らしいが、ならば会わないことも素晴らしいだろう
もっと出会いたい。必要でない出会いを。たくさん食べて、
たったひとつを、やっぱりたいせつ、って想いたい。
もっと、みんなを、ばかにしないといけない
みんなを、尊重しないようようにしないと。もっと、
自分と、たったひとつを、守るためには排他的でないと。
愛したい

はたらく女性の愛知県集会に講演で来ていた先生は
セルフケアが大切です。自己を肯定してあげましょう。
今日まで生きてきた自分を認めて、尊敬して愛しましょう。
と言っていた。自分の愛し方って難しいようだけれど、
子供だった自分のことを可愛いと思えれば、簡単だと。
その子は苦しいこと、つらいこともあったけれど、がんばって
生きてきたよね。褒めてあげましょう。抱きしめてあげましょう。
それが出来ているなら、僕も君も大丈夫だし、もし大丈夫なら
ほんとに、ほんとうに、もう君のことは、どうでもいいよ。

本来、そんなもんだし、それって、ひどく寂しいね。