YUKI のニューアルバムが出たんですね。
昨日タワレコ行ったときに初回盤特典のDVD映像が流れてて
ひたすらYUKIが踊っていて、ひたすら僕はこういうものに憧れているよ
と思った。 女の子に生まれていたらYUKIちゃんになりたいどころか、
男の子でもぜんぜんYUKIになりたいよ。と思ったのだけれども、なれずに
そしてならずに、ひたすら僕は僕になり続ける。これからも。
あれを見てですね、たとえばYUKIが踊ったり、唄ったりしていてですね、
かわいい!というだけだったら、僕は違うと思います。もっと何か、きっと
おそろしいことをやってるんではないのですか。あんなにかわいいなんて。
それとも、やっぱり、かわいい!というだけを、やってるのかもしれない。
あんなにかわいいんだもんね。
しかし、確実に言えるのは、そのどちらも、間違っているということです。
東京都の条例改正の「非実在青少年」問題、ありますよね。
石原都知事とかの演説を聴いてみたい。まだ聴いてないから、ほんとうは
何もいえない、いうべきではないけれど、僕は当然のようにして
石原都知事に対しては大きめの偏見を持っていますから、あえていうけど
どうせ正しいと思ってるんじゃないだろうか。
演説でも、文章でもいいけど、石原さんが
「この改正案は、間違っています! でも、やるったらやるもんね!」
くらい言ってくれているなら、はじめて議論が可能になると思えるけれど
どうせあの人、自分の案が正しいとか思ってそう。へんけん、へんけん。
過激な性描写が性犯罪を助長してるんじゃなくて、取り締まろうとする権力や
お堅いPTA的存在こそが変態加速度を増す要因スパイスという発想はないか。
どちら側も有りえて、どちらも間違っていると疑えたなら、やっと話し合える。
どんな問題も根本的には、意見が違う人がいるねー。ていう問題だろう。
どの問題も、同じ問題だとして、政治は2010年になっても解決法を提示できない
だからといって政治不信にならなくってもよくて、最初からそんなもんなのだと
思いませんか。政治も宗教もアートも人間も、そんなに確かな、信じられるもの
あるはずなくは、ないですか。ありますか。やばいですか。
この機会に、前から言いたかった疑問というか小さな違和感をうちあけますと
ぜーんたい的な若者一般の政治離れが叫ばれて久しいかと思いますが、なんと
表現活動に携わるひとでも最近は、政治に関心がないひと率が、ぐんぐんと
上昇している実感がありますのです。昔なら、アーティストが政治に関心ない
って、ちょっとバカにされそうな勢いあったんじゃないか?と思うけれど。
もし政治に関心ないにしても、それはアンチ権力とか反政府的な態度なら
それは政治に関心が実はあるということだし、でも最近の関心のなさというのは
無政府か、未政府なニュアンスというか、これが本当のアナーキーなのかも
ていう有様で、それでいいじゃん的なムードで、…いいのかもしれないけど。
僕は、そのひとたちに対して「選挙に行けよ!」とは言わないし
言うとしても、「行かないと損をするかもよー。」っていうくらいの温度で
政治に参加しないひとを、けしからん!というつもりはなくて、でも表現をする
ひとまでもが政治に無関心なのは驚いて、ただ、おどろくのでした。
きっと、時代の空気で。現代から未来これからもっと、政治離れじゃなくって
人々は、何もかもから、離れていくのだと思います。
タモリ倶楽部で、食べ物を描いた絵画を見ながら白いごはんを実際に食べる
ていう毎度ながらのアホな企画が、先日やってて見ていたら、西洋の絵画には
無の概念がないでしょ。って言ってて、浮世絵だったら、背景べったり
塗っちゃいます。西洋は影を入れないと怖いんですよ。無は、イコールで
死ですから。って言ってて、なるほどと思って、無とか空とか陰陽とか、
東洋の概念だね。西洋人あほー。とか。言っていられた時代は既に過ぎてるの
かもしれなくて村上隆のスーパーフラットがヨーロッパでバカ受け。ぺったりと
平面なアニメーションも、浮世絵も、もう西洋人にとって見慣れたであろうし
無や空だって、いい加減、怖くないかもしれない。未来には、そうなるだろう。
それは「国や地域という幻想」の存在価値を葬るベクトルかもしれないけど、
僕にとっては、望ましい世界だ。
世界には、まだまだ多くの国境線がひかれているし、無数の政府や、
無限の宗教が興り、拠り所として機能している。じわじわとそれらが溶解し
やがては人々は、ぬるく穏やかな自由と解放、平和を手にするかもしれない。
僕は、それを本当の平和だとは思わないし、寝ぼけてるのだと思うけれど、
かりそめでも、そんな平和が訪れるのなら、永く続けよと祈りさえするのだ!
だからさ。 安心して。
いくらでも産まれてきたら、いいじゃない。
あいしているよ、べいびー。 3人目? 授かってますよ。とっくに。
昨日タワレコ行ったときに初回盤特典のDVD映像が流れてて
ひたすらYUKIが踊っていて、ひたすら僕はこういうものに憧れているよ
と思った。 女の子に生まれていたらYUKIちゃんになりたいどころか、
男の子でもぜんぜんYUKIになりたいよ。と思ったのだけれども、なれずに
そしてならずに、ひたすら僕は僕になり続ける。これからも。
あれを見てですね、たとえばYUKIが踊ったり、唄ったりしていてですね、
かわいい!というだけだったら、僕は違うと思います。もっと何か、きっと
おそろしいことをやってるんではないのですか。あんなにかわいいなんて。
それとも、やっぱり、かわいい!というだけを、やってるのかもしれない。
あんなにかわいいんだもんね。
しかし、確実に言えるのは、そのどちらも、間違っているということです。
東京都の条例改正の「非実在青少年」問題、ありますよね。
石原都知事とかの演説を聴いてみたい。まだ聴いてないから、ほんとうは
何もいえない、いうべきではないけれど、僕は当然のようにして
石原都知事に対しては大きめの偏見を持っていますから、あえていうけど
どうせ正しいと思ってるんじゃないだろうか。
演説でも、文章でもいいけど、石原さんが
「この改正案は、間違っています! でも、やるったらやるもんね!」
くらい言ってくれているなら、はじめて議論が可能になると思えるけれど
どうせあの人、自分の案が正しいとか思ってそう。へんけん、へんけん。
過激な性描写が性犯罪を助長してるんじゃなくて、取り締まろうとする権力や
お堅いPTA的存在こそが変態加速度を増す要因スパイスという発想はないか。
どちら側も有りえて、どちらも間違っていると疑えたなら、やっと話し合える。
どんな問題も根本的には、意見が違う人がいるねー。ていう問題だろう。
どの問題も、同じ問題だとして、政治は2010年になっても解決法を提示できない
だからといって政治不信にならなくってもよくて、最初からそんなもんなのだと
思いませんか。政治も宗教もアートも人間も、そんなに確かな、信じられるもの
あるはずなくは、ないですか。ありますか。やばいですか。
この機会に、前から言いたかった疑問というか小さな違和感をうちあけますと
ぜーんたい的な若者一般の政治離れが叫ばれて久しいかと思いますが、なんと
表現活動に携わるひとでも最近は、政治に関心がないひと率が、ぐんぐんと
上昇している実感がありますのです。昔なら、アーティストが政治に関心ない
って、ちょっとバカにされそうな勢いあったんじゃないか?と思うけれど。
もし政治に関心ないにしても、それはアンチ権力とか反政府的な態度なら
それは政治に関心が実はあるということだし、でも最近の関心のなさというのは
無政府か、未政府なニュアンスというか、これが本当のアナーキーなのかも
ていう有様で、それでいいじゃん的なムードで、…いいのかもしれないけど。
僕は、そのひとたちに対して「選挙に行けよ!」とは言わないし
言うとしても、「行かないと損をするかもよー。」っていうくらいの温度で
政治に参加しないひとを、けしからん!というつもりはなくて、でも表現をする
ひとまでもが政治に無関心なのは驚いて、ただ、おどろくのでした。
きっと、時代の空気で。現代から未来これからもっと、政治離れじゃなくって
人々は、何もかもから、離れていくのだと思います。
タモリ倶楽部で、食べ物を描いた絵画を見ながら白いごはんを実際に食べる
ていう毎度ながらのアホな企画が、先日やってて見ていたら、西洋の絵画には
無の概念がないでしょ。って言ってて、浮世絵だったら、背景べったり
塗っちゃいます。西洋は影を入れないと怖いんですよ。無は、イコールで
死ですから。って言ってて、なるほどと思って、無とか空とか陰陽とか、
東洋の概念だね。西洋人あほー。とか。言っていられた時代は既に過ぎてるの
かもしれなくて村上隆のスーパーフラットがヨーロッパでバカ受け。ぺったりと
平面なアニメーションも、浮世絵も、もう西洋人にとって見慣れたであろうし
無や空だって、いい加減、怖くないかもしれない。未来には、そうなるだろう。
それは「国や地域という幻想」の存在価値を葬るベクトルかもしれないけど、
僕にとっては、望ましい世界だ。
世界には、まだまだ多くの国境線がひかれているし、無数の政府や、
無限の宗教が興り、拠り所として機能している。じわじわとそれらが溶解し
やがては人々は、ぬるく穏やかな自由と解放、平和を手にするかもしれない。
僕は、それを本当の平和だとは思わないし、寝ぼけてるのだと思うけれど、
かりそめでも、そんな平和が訪れるのなら、永く続けよと祈りさえするのだ!
だからさ。 安心して。
いくらでも産まれてきたら、いいじゃない。
あいしているよ、べいびー。 3人目? 授かってますよ。とっくに。