「わたしを倒せば、英雄になれるぞ」
年が明けてから、状況は随分慌ただしい。
突然の安否確認、訃報、SOS。
初夢はイラついている夢だった。このイラつきをどうしようか?そう言っていた。
そしてやはり、私はイラついている。
うん、どうしようか。
「わたしは人のことをこんなに心配できます」
「わたしは人のためにこんなに心を痛めることができます」
「わたしは人のためにこんなに動けます」
「わたしはこんなに苦しい事に耐えることができます」
「わたしはこんなに理不尽な事に耐えてきました」
「わたしはこんなに物事がわかっています」
「見てください、彼らはどうしようもなく愚かだ、とわたしはわかっています」
「こんなわたしは英雄と呼ばれるにふさわしい」
「英雄と呼びなさい」
なんて世の中には罠がたくさんあることか。
ギラギラベカベカ。
旅の途中に猛り立つポセイダオンや怪物を設置することは、のぞむところなのか?
英雄、悲劇の人物、慈悲深い聖女、徳の高い善人、世の中の物事をよく知る大人。
そうなるために私達は始終演じているし、舞台も用意している。
それは普通のこと。
そんなことに、イラついている。
ギラギラベカベカしたものが嵐のように向かってくる。
力に力で返すことはしないから、そのままくらう。
防御はしても、消耗する。
力にあわせて、するりと吸収しながらかわすことが、今はまだできない。
・陰徳
・そこに山があるから
・薔薇ならば咲くだろう
私にも誰にも感情がある。感謝する、同情する、嫉妬する。
でもそれだけなのだ、特別ではない。
「あなたの行為で何人も救われたよ」
本当だろうか?そうだとして、何なのか。それは特別なことだろうか?
「感謝されると、嬉しいでしょう」
もちろん、嬉しい時もある。だけど動機になるほどには嬉しくない。感謝されなかったら、憎むの?
「もっと感謝しなきゃ」
恵んでいただき、ありがとうございます。代わりにあなたの望むようにいたします。
「わたしは非暴力を貫きました」
―だから?
ひとりでは寂しい。認められると嬉しい。感謝してる。
否定されると悲しい、怒りを感じる、不快だ、妬ましい。
傷つけられれば痛い。恐い。
どれもちゃんとある。だけどそれだけなのだ。
「これは引き上げてもっと押し出して!これはもっと下げて隠して、存在すら認めない!」
特別に取り上げるようなことじゃない。どれもこれも。
だけど特別になりたいから。
英雄で、聖女で、善人で、賢人で、悲劇の主人公であることを、選んでいるから。
私たちはまるで盲目のようだ。
見もせずに、やたらと力を振るう。乱暴な力はやさしい変化や遊びの範囲を超えて、まわりが吸収できず、ぶつかって衝撃となるほど、方向も大きさもデタラメ。もちろんまわりと息を合わせるなんてしないし。
小さな場所ででたらめに大きな力を使うから、まわり共々崩れる。
大きな全体で連携のとれた精密さを発揮するなら、力は少しでいい、ほとんどなくていい。
ただ、そうあること。
薔薇ならば、咲くのだから。それだけのことなのだから。
善にも、悪にも、執着はいらない。
ただ感じているだけ。
さて、猛り立つポセイダオンをおさめるには―。