前回の記事を受けて、またまたライオンハートさんの記事 を引用させていただきます。
こういった心持ちを心がけていきたいと思います。
是非ご一読ください♪
気を取り直して、明日からまた明るくいくとしましょう!
↓以下引用↓

パンチ! 【はじめに】
仏教思想において、心の修練方法として代表的なものに八正道が挙げられます。今回、この八正道(正見・正思・正語・正業・正命・正精進・正念・正定)のうち、①正見 ②正語 ③正思 ④正命 ⑤正精進 ⑥正念について、ご紹介していきたいと思います。

本 【①正見】正しく見る、正しい見解
これは、基本的には、『自分は人に対して正当な見方をしたか、自分自身に対しても正当な見方ができていたか、第三者の目で見ることができたか』、この3つの視点が基本となります。

人間は本来、どうしても独断と偏見で他人や自分を見てしまい、例えば、あの人は、学歴もなく、家系が悪いからこうなのだ。あの人の長所は一つもない、あの人は、劣等感の固まりだ、などと簡単に決めつけ、自分の都合の良い物差しで他人様を評価してしまいがちな面を持っています。しかし、本来、他人の心というものは、そう簡単に分かるものではありません。新入社員には新入社員の悩みがあり、OLには、OLの悩みがあり、中間管理職にも特有の悩みがあります。(管理職の場合、実際、経験しなければ分からない苦労があります。経験によって始めて大変さが分かってくるものなのです)

真に他人様を観察すると言うことは、大変難しいと思われます。一生かかってもできないかも知れません。しかし、自分は、この人を、こう思うけれど、別の視点(観点)から見れば違うかも知れない、別の評価もあるかも知れない、そうした可能性のある部分は、残しておかなくてはなりません。


本【②正語】
人間関係において、言葉の調律ほど重要なものはありません。まず自分に対しての課題としては、他人様の悪口、愚痴、不平不満の言葉を極力控えていくことから始めなければなりません。このような言動を繰り返していくと心にマイナスの影響(曇り)を作ることになります。それは、自分自身の性格を暗くし、悲観的に物事を考える悪い習慣が身に付いていく事になります。言葉は、常に明るく希望に満ちた言葉を発していく(自分を成長させる前向きな言葉)努力が必要になります。マーフィーの法則(潜在意識の法則)にもありますが、否定的な言葉を発し続けていくと、そのとうりの暗い人生が繰り広げられてしまうのです。

次に戒めなければならないのは、他人様に発する言葉です。相手の方に対して暴言をはくと、相手の方の心に深い傷を与えてしまいます。こうなると暴言を受けた側の方は、その言葉を発した相手に対して、恨みの念を抱くことになります。思念波動の法則と いうものがありますが、多くの方の心を踏みにじるような行為をしている方は、少なくとも自分の運命を好転させることはできません。上手く行かなくなるので す。病気をしている訳でもないのに、体調が悪くなったり、身体のどこかに痛みが生じたり、また不眠となったり、精神不安定に陥ったり、その兆候は、様々で すが、これは、相手の方の悪い波動(思念、生霊)が自分に対して向けられているからなのです。ですから、少なくとも、人に恨みを買うような生き方だけはしないことです。

自分の運命を好転させていく上でこの言葉の調律というものは、大変重要な意味を示しています。人を不幸にしていく原因がこの言葉であるように、人を幸福にする力を持っているのもこの言葉です。たとえ、お金や物をくれなくても、心からの感謝の言葉をもらったり、褒める言葉をもらうと、人は勇気が湧いてきます。そして更に頑張っていこうとする気力が湧いてきます。何故か不思議と相手の方が前向きで懸命に生きている姿を見ると応援したくなるこの心境、これこそが自分の運命をも好転させていくことになるのです。良い思念(良い波動)も自分に還ってくる訳です。

ここでの反省点の基準として捉えなければならない点の一つ目は、人を傷つけるような言葉、けがすような言葉、苦しめるような言葉をはかなかったかどうかということです。
もう一つは、積極的な反省法として、人を褒めたかどうか、人の美点を伸ばし、その人が素晴らしい人となるような言葉を発したかどうか、この両者の観点から言葉の調律というものを捉えていく必要があります。

本【③正思】
正思とは、心の内面の部分、例えば今日一日、自分の心の中で思ったことに対し、間違いがないか、反省していくということです。正語は、言葉を外に出したものですが、正思は、心の中にこもっていたものを浄化していく作業という事になります。

心の中に去来するマイナスの思い、例えばある人への憎しみや怒り、自己卑下(自分の価値を否定する)、妬みの気持ちでいっぱいになっている自分の心、こういったマイナスの思いを修正していく必要があります。

例えば今日一日の中で人間関係においてトラブルがあったとします。他人との不調和が起きた原因は、相手だけでなく、自分にも何か問題があったのではないかと考えてみる。
もし、自分に間違いがあることを発見したなら、その点を相手に詫びるか、あるいは心の中でわびる、更に信仰をされている方であれば、神仏におことわりをし、そうした過ちを二度と繰り返さないと思うこと。このように自分に去来した心の内面を浄化させていく方法がこの正思に当たる訳です。

本【④正命】
これは、今日一日正しく生活をしたか、一日の生活が誠実なものであったか、そしてその時間を効率的且つ合理的に使い果たすことができたか、一歩でも二歩でも前向きで希望を持って事に当たることができたかなど、正思に対して、正命は、積極的な反省の部分を含んでいます。
『一日一生』今日一日生きていて本当に良かったといえるような生活を目指していくこと。もしくは、人生は何が起きるか分からない。もしかすると自分の人生は今日一日しかないかも知れない。だから、悔いのないような生き方をしておこうというように『一日の大切さを認識する』こと。

本【⑤正精進、正業&正進】
正業は、正しく仕事をなす、業務をなすと いう部分がこれにあたります。男性では仕事、女性では、専業主婦であれば家事、子育て等です。例えば、仕事であれば、大きな過失(ミス)を作らなかったか 否か、積極的な間違いを犯さなかったか否か、他人様に対して迷惑をかけなかったか否か、より素晴らしいサービスを提供できたか、より向上を目指す、そうし た奉仕ができたか否か、また家事であれば、子供の教育に専念できたか否か、家の中をきちんと片ずけ、掃除や洗濯など怠りがなかったか否か、旦那様の聞き役 となり、仕事を円滑に行えるよう配慮(心配り)できたか否か、こうした観点が正業における反省となります。

正進は、正しく道に精進するという意味ですが、信仰をされている方であれば、神仏にかなった教えや書籍の学びを怠っていないか、また少しでも実践に結びつけているか否か、一般的であれば、過去に成功した偉人たちの知恵や、現代において成功している人達の経験に基ずいた話を聞いたり、書籍などを読み学んでいく、即ち、日々の出来事から自分の心の糧となるもの、教訓となるものを学び、自分の未来に向けて活かしていくこと。こういったことが正精進の部分にあたります。

本 【⑥正念、正定】
正念は、正しく念ずるという意味ですが、即ち方向性をもち、目的を持った心の念いのことをいいます。従って、この正念による未来へのビジョン(理想的な方向)を持っていなければ、充実した人生行路は、歩めないというくらい、大事な部分であるということになります。
以前にも記事にしましたが、マーフィーの法則(潜在意識の活用)による光明理論(未来の自分について積極的なイメージを作りだし、それを持続させることで夢を実現させる方法)もこれに当てはまると思います。また宗教的見地では、例えば、自分の描いた未来のビジョンが、周囲に対してマイナスのものとなっていないか、寧ろ逆に繁栄されているものであるかどうか、そしてそれは、神仏の意に添っている妥当なものであるか否か(他人様を騙したり、自分だけが営利を貪るなど不当なもの)また、自己実現に向かって常に感謝(ありがたい)の気持ちを忘れずにいるか、こういったことが正念に対する反省(心の点検)ということになります。

正定は、正しく定に入ると書かれています。この領域は、一般的ではなく、正に宗教的な見地となります。正しく定に入るとは、精神統一の時間を取ること、基本的には、呼吸を整え心を平静に保ち、自らの守護霊や指導霊と対話できる状態を作りだしていくと記されています。

基本的には、一日のうちに自分の心の内を見つめ、心を静めて自らを振り返り、反省、祈り、瞑想の時間を取ると いうことになりますが、この修業が進んでくると次第に霊道が開けるという現象が起きることがあり、自分の守護霊や指導霊の声が聞けるようになる、そして様 々な霊的能力を授かり、未来が素晴らしく展開していくことがある。更には、この正定の極致にあるものは、大宇宙と一体になる、即ち究極の神仏とつながって ゆくという黄金の法則がこの正定にあると記されています。大変難しく、難解な内容のもので、理解し難いことですが、いわゆる悟りの境地ということだと思い ます。マザーテレサは神の声を聞き、菩薩行を全うした人物であったと言われていますが、もしかすると、このような心の境地を持つ偉人だったのかも知れませ ん。
これらの記事は、神理学書籍から抜粋、編集したものです。

メモ【私見考察】
こ の記事を神理学書籍から抜粋、編集していくうちに、自分の過去の大失敗から、それを教訓にしている、即ち肝に銘じていることを思い出していました。それ は、まだ私が20代後半の頃でした。当時私は、成功体験というものを次から次へと経験するといった怖いもの知らずの時期があったのです。ところが、何を勘 違いしたのか、自分は人よりも偉いなどという錯覚を起こしていたのです。いわゆる増上慢になっていた訳で す。このような心境になると他人様(周囲)の意見や忠告は、殆ど聞けなくなり、また無意識のうちに多くの方を見下すような姿勢となっていきます。この発端 の原因は、自己顕示欲でした。つまり自分が一番、自分が、自分がという気持ちが強かった訳です。結果自ずと出ました。案の定、大失敗を起こ してしまったのです。幸いにも致命傷となるようなことにまでは至らなかったのですが、この時点で人からの信頼は、一瞬にして無くなった訳です。一度失った ものを元に戻すのは至難の業でした。大変な時間と日月が掛かったのです。私は、この体験からリスクを伴うような事に関しては、決して無理はせず、石橋を叩いて渡るようにしています。これが教訓となったわけですね。自分が生かされているのは、やはり多くの方の応援があればこそ、成り立つもの、この時ほどそれを思い知った事がありませんでした。私は今でも、心を修練する上で最大の敵は、この自己顕示欲である、といっても過言ではないと思っています。常に周りに感謝し、身を低くして慢心せず、自己を向上させていく、このような姿勢がいかに大切であるか、その当時、何も知らなかった無知なる自分は、大バカ者であった訳です。それでは、ここで正語という見地から見て、上述した私の心境にある者がいたとします。この時、他人様を褒めるという行為が妥当か否かということになりますが、答えは、ノーです。ここでは、褒めるのではなく、厳しく注意しなければならない訳 ですね。このように、八正道は、心の修正を行う上で基本ではありますが、時と場合によると思います。人間関係が複雑になっているこの時代に、いかに心の軌 道修正をし、それを実践へと生かしていけば良いのか、それは、個人、個人の種々の経験によって、それぞれ使い分けていかなければならない部分があるように 思えるのです。
天使インスピレーション、信じるという言葉を認識するところに解く鍵があるのかもしれない。