連休中に京都は東山の辺りを参拝しながら歩いた。

最初に訪れた「青蓮院」さんで、きれいなお庭を見て、中をぐるっと歩いて癒やされてきた。








なんだけど真顔

お庭を歩きながら、ふと。
 



私、こういう手入された作り込まれたお庭も嫌いじゃないけど、やっぱり自然の中の粗削りでも厳しくても、その中にある美しさが好きかもなーって思った。
 
 

頭に浮かぶのは、北アルプスの稜線上の景色。
 
 
植物、岩、低木、風、空気、たまに雷鳥。
空、雲、雪、草、土、健気な花、草原、お花畑。
切り立つ岩、断崖絶壁。雨の後の恐ろしい流れ。
 



山の裾野では、こんもりとした森、川のせせらぎ、木々の間から差し込む優しい太陽の光、ひんやりした空気。ふわりと吹く柔らかい風。
 

自然の音以外何の音もしない。自分の歩く音だけ。踏みしめる小枝や草の優しい音。
 
山頂も360度、遮るものがなく、風の音だけ。
 
静かすぎて耳鳴りがしてるかと思う時もある。

 

 
もちろん、里山も好き。
すぐに登れそうなくらいの可愛い山々があって。

畑、田んぼ、小川、原っぱ、土の道。
土の香り、雨の前の匂い、季節の花の香り。
可憐な雑草、小さな木、虫や鳥。
そこに人間も。






地球のほんとの最初はどんなだったんだろう。


ガスの塊?



だとしたら。

そこから、この今ある自然が出来ている事って、土の砂粒一つでも奇跡やんなぁ。


そして、それらは目に見えないものにも皆、護られている。


最初はみんな一つだっただろうな。


よく言われるワンネス、と少し違うかもしれないけれど。

そもそも存在するものは全て粒子?ひかりの粒?よく分からんけど、そんな感じなんやんねぇ。



だとしたら、目に映るものは全て奇跡でしかない。


私自身も奇跡の塊。
周りにいる人たちもみんな。
少しづつ経験してることは違えど、あらゆるケースの奇跡の積み重なった今が、奇跡的で素晴らしくて唯一無二で。


だから、みんな大切だし、そのままでいいし、こう生きる!と決めたらそれでいいんだね。
人は関係ない事。



もちろん、社会の中で生きる上で工夫したら楽なこともあるし、上手く行かない中でしか経験できない感情もあるから、全ては必然で起こっているんだけど。



まず、自分の軸足を大地にしっかりつけて日々を積み重ねる事が、あらゆる事の土台になるんだね。







手入れのされたお庭を歩いた後、思い返していて出てきた言葉や気持ち。



これ、全部自分に言うてます笑い泣き







しばらく落ち込み気味で。
でも今日、お茶会に参加して少し話聞いてもらって帰ってきたら、かなり元気になってたおねがい


ご一緒してくださったみなさん、ありがとうございました♡





いつもこうやって落ちた時は誰かが助けてくれる。


ほんとにありがとうラブ