先日、正月に実家に帰った時、父親が高市首相についてどう思うといきなり聞いてきた。80歳を越す父親は自民党が幅を効かせる田舎の自営業で、いろいろ問題はあるかもしれないけど、普通に経済を安定して回していくんなら自民党だろみたいな感じの人だった。ちなみに母親はバリバリの共産党支持者で赤旗を子供の頃は買っていて、平和だ平等だといつも言っていた。共産党が平和と平等につながるかどうかは疑問だが、夫婦でも政治的な考えは違ってもいいんだなと思ったものだった。 

 で、その父親が高市さんについて聞いてきた。どう答えたらいいのかわからず、んー、人気あるよねえと答えたら、いや、あれはいかんだろと言う。理由を聞いても今ひとつ明確ではなかったが、80歳を過ぎた父親から言わせると、右に偏りすぎているという。
それを聞いて、ふーんと思ったのだ。バリバリの自民党支持者だった父親が意外にも高市さんに対して批判的なことに少し驚いたというか。
現状を見れば、参政党みたいな党が躍進する中で高市さんの存在は自民党に保守層を呼び戻す存在と見られているようだし(実際はどうなるかはわからないが)、父親みたいな層はもう少し好意的なのかなと思っていた。短絡的に高齢者はこうだと言うわけではないが、こういう人もいるんだなと思った。
で、私はもともといわゆる左寄りと言われるポジションになると思うのだが、今の世の中を考えると、自分をどう位置づけたらいいのか迷ってしまうところがある。
中道の包摂とか共生とかイメージはわかるのだが、もうそうした言葉は通じない世界になりつつある気がしている。経済格差が作り出す弱肉強食の世界。日本だけではない。アメリカにしろ中国にしろ、強いものが正しいという世界になりつつある。もちろん、今までだってそうだったかもしれない。グローバル化の中で利益のために搾取する側とされる側があったが、オブラートに包まれ、私たちがその利益を享受する側にいたからこそ言えることではあるのだが、理想が語られる余地はあったような気がする。 

でも、今はそうではない。剥き出しになった欲望を肯定する世界だ。少しでも強くあらねばと思う人達が増えているのだ。

 認めよう。私は怯えている。ロシアやアメリカの剥き出しの暴力に。日本の中でも感じる弱肉強食の世界に。自分の子どもがそうした世界で生き抜くことができるのだろうかと。強い言葉を声高らかに謳う政治家に惹かれてしまうことに。なんとかしてくれるのではないかと期待してしまうことを。 

 でも、怯えているだけではいけない。無力だと嘆くだけではいけない。少なくとも、自分が、自分の子どもがこの世界で生き抜くために考えなければいけない。
そして、できれば、この世界が弱者に対しても寛容な世界であり続けるために、何かできることをしなければいけない。
って思って誰にも読まれないかもしれないけど、この文章を書いている。
私は妄想しすぎなんだろうか。考えすぎだと誰かに言って欲しい。