求刑8年…

息子を殺害した元農水事務次官の熊沢被告に

対する求刑が重いのか軽いのかはわかりません。




今日のワイドショーで女性の精神カウンセリングの方が

熊沢被告は長男に対するサポートのやり方を間違って

いたと言う様な趣旨の事を述べていました。




確かに…サポートの方法もいろいろな形があるとは

思うのだけれど…。

もしおばさんが裁判員であったなら…やはり熊沢被告の

苦悩と言うものが…自分と差はあるもののダブってきてしまい…

許される行為ではないものの…思い詰めた心情は専門家が

何を言おうと…わかる気がして減刑…と言う方向に行って

しまいそうです。




おばさんの幼少期…そして大人になってからも…

血のつながった家族と言う、自分にとっては切りたくても

切りたくても切れない…呪縛のようなものがありました。

呪縛からの解放の手段として、本当に小さい時から

いろんなことが頭に浮かんでは消え、浮かんでは消え。




小さいながらも、いろんなことを考えてしまう自分が

恐ろしく感じたし、実際父に馬乗りになって涙ながらに

抑え込む姿が今でも自分の頭の中には残ってます。



母は優しく、大きな声を上げたことがない人でしたし

お茶目で楽しい人だったけれど…なぜあんなに

辛抱ができたのか?

マ…そういう世代だったのかもしれません。




父、姉二人…何をどう狂ってしまったのか?大きく

人生を踏み外した3人…。 

父や姉たちの行状は省略しますが…まさに母や6歳上の

姉とおばさんにとっては、地獄と感じる事も多くありました。

 



熊沢被告の経済的、社会的にもエリートと言われる環境と

おばさんの貧困の環境とでは差があるものの

根本にある家族の悩みと言うものに関しては、同じものを

感じます。





熊沢被告のそれは、立場上おばさんなんかよりはるかに

キツイものだったと察します。





父の存在は、おばさんには邪魔でした。

いつも消えてくれることを望んでました。

ある日目が覚めたら…父が死んでいなくなりました…

それが実現する日はないもんだろうかと…毎日

そればかりを考えてたように思います。






父を見てきたはずの姉二人はやはりおばさんからすると

壊れてました。

家庭環境と言われればそれまでだけど…母の背中を

見て育ったならば、母を苦しめるような事はしなかった

ハズだと、おばさんは父以上に姉に対しては覚めた

気持ちになってしまいます。





結局…9歳離れた姉は、おばさんが最終的に

面倒を見ることになりましたが、正直母にしてあげ

られなかったことを、なぜこの姉にしてやらなければ

ならないのかと未だに、姉を許せない部分があります。




昨年、認知が入り、今は有料老人ホームにはいって

ますが、それもおばさんと上の姉が援助をしながら

1年が過ぎようとしてますが、限界が来ています。

それでも…突き放せない姉妹としての血のつながりを

たつことが出来ないんです。




自分の老後の行く末を考えるこの頃ですが、

これからは行政のいろんな窓口に相談に行きながら

おばさんができることをしてあげようと思ってます。

もう無理はしたくないし、しません。



でも…ホントに窓口に相談できると人づてに聞いて

いても、そこに行こうと決心するまでには相当の

時間と勇気がいりました。




父や姉たちを失格者と決めつけるのは、もしかしたら

間違ってるかもしれない。

それなりにそうなったのには大きな理由があるのかもしれない?

それにしても、それにしても…なぜこんなに今の世の中

家族に関する事件が多いんでしょうか?





こういう家族を抱えていた経験から…専門家のおっしゃる事も

わからないではないけれど…

いつも不安を抱え、とにかく人様に迷惑をかけぬようにと

顔色をうかがいながら暮らす日々の苦痛はホントに

それを経験した家族でないとわからないと思います。




 

熊沢被告の長男の引きこもりとは又違いますが…

家族であるはずの父や姉と、どう接してゆけばよいのか、

この先自分の人生はどうなってゆくのか…

母もおばさんも上の姉も悩み苦しみ、大きく負担がのし

かかってました。




父の存在は父がなくなる65歳まで続くわけですが

死ぬまできつかった。

最期はやはり寂しい死に方でした。

もし…もっと生きていたら?…また違った展開になっていた

だろうと、ぞっとします。

親子でありながら、死んでくれたことで、今があるとホッと

するのは正直な気持ちであり、死んでくれたよかったと言う

のも本心です。





でも今は父の事をもう恨む気持ちは無くなりました。

可愛い娘、そして孫たちに出逢えたのは、おばさんの誕生が

あったワケですから。

父も我が家の仏壇の過去帳に母と一緒に入っています。

やっと手を合わせて父に対してもありがとうと言えるように

なりました。





おばさんは、母のおかげで、まわりの方からは本当に可愛い

がってもらいましたが、そのため、いつもよゐこでいなければ

ならなかったのも事実ですが…若い頃…横道にそれず

何とか常識をもって今日まで生きてこれた事、人に対して感謝の

気持ちを持つことが出来るようになった事は、この経験からだと…

今はだから良かったと少しずつ思えるようになりました。





試練とすれば…それは何のための試練なんだろうと

考え込むことも多くありましたが、この試練は生きて行く

上では、必要だったのかもしれませんね。



 


おばさんは今、いろんなことが有ったけれど、幸せだと

感じる事が多々あります。

悔いが残るとすれば、母の晩年自分に力がなく、してあげ

たい事もできる状況ではなく、もっと楽しかったと言える

思い出を作ってあげられなかった事。





それでも母は死ぬ前に、自分は幸せだったと言ってました。

そして、いつもありがとうと言う言葉をかけてくれました。





母は道を外した父を自分が支えないと、もっとダメな人になる…

そして、いつか立ち直ってくれると信じてたような気がします。
母なりの父に対する愛だったんでしょう。



今回、熊沢被告の娘さんの自殺は初めて知りましたが

父親として熊沢被告の心中はいかばかりだったか…

息子のせいで破談になり、絶望のうえ、自ら命を絶った

娘さんの自殺は…夫婦ともども本当に苦しまれた事

だろうと思うと、胸が痛み、涙さえ出てしまいます。

でも可愛い娘と息子である事には変わりがなかったハズ。





長男の存在は大きくのしかかっていたんだと察します。

苦悩、葛藤…親としての責任がどれだけ重かったか!

そして恐怖を感じるまでに膨れ上がってしまった感情の

過程はどんなに永く感じた事か。





東大出身で、仕事熱心で人望もあり、他人から見れば

うらやましがられる生活だったかもしれないけど、

熊沢被告の裏側にこんな大きな悲劇があるなんて

まわりは誰も思わなかったでしょうね。





誰か知っていたら多分ですが、もう少し違う形になって

いたのではないかと残念です。

嘆願書が出るくらいですから本当に社会人としても

人としても立派な人だったんでしょう。




熊沢被告の長男に対するサポートは、生活のサポートであり、

引きこもりの長男を自立させるサポートではなかったとTVで

女性が発言したとき、そうか!なるほど!と一瞬思いましたが…

でもやっぱり…この事件は熊沢被告なりに精いっぱい愛を注いで

見守っていたんだと思いなおしました。




経済的なサポートだと言われればそれまで…多分、立ち直る

準備のためには、まず経済的な援助からと言うのも親としては

ありだと思います。





長男も父を尊敬しながらも悪態をつき、父母を悩ませる自分を

どこに持っていったらよいのか40を過ぎてもわからなかったと

言う事が悲劇を生んだんだと思いますが…

それにしても今の時代、こんな事件が多すぎますね。





いろんな悩みを相談したり、支援してもらえる窓口も多くあると

思います。

この時間をきっかけにして、こういう問題で悩んでおられる

家族がいたら、一人で抱え込まず、まわりでサポートしてもらう

方法をとってもらえたらいいなと改めて思いました。






ちなみに普通の結婚はできない、家庭はもてないと思い込んで

いたおばさんは、ダンナさんに拾い上げられて、現在家庭を

もって44年目に入りました。

普通の結婚はしたものの、普通のダンナさんでなかったのは

誤算でしたが、おばさんはこのダンナさんのおかげで

初めて自分をオープンにすることに目覚めました。

と言うか…あまりそういう事に興味がないと言った方が正しいかな(笑)




今思うのは…自分は決して不幸な人生ではなかったという事。

そして、無駄な苦労なんてないという事。

もっともっと世の中には大きな悲劇が存在し、それを乗り越える

ために密かに努力をしている人が沢山いるという事。

努力は報われることもあれば、報われないことももちろんあるけれど

人生をあきらめる必要はないんだなって思えるようになりました。





残りの人生…難しく考えると、難しい壁を自分で作ってしまいそう。

気楽に生きる…その気楽がなかなか難しいんだけど、思い残して

死ぬことだけはやめようと思います。





なんやかんや小言言っても、やはりダンナさんに対しては

感謝しています。
お互いマイペースではありますが、お互いの事をわかってる

からこその信頼関係があり、いざと言う時の結束もあると思い

ます。




自分の息子を殺めた熊沢被告にとって、自身が言ってた様に

残りの人生は祈りの人生となると思います。

いろんな思いが今めぐっているでしょうが、残された奥様の

事を守ってゆくというのも、これからの熊沢被告の仕事と思い

ます。





この事件…不幸な事件ですが、情状酌量の余地があるのでは??

どうぞ被告に祈りをささげる時間が早く来ますようにと願っています。