5年と言う月日の流れ…この5年は今までよりずっと早く過ぎたように


感じます。




東日本大震災のあの日のことは鮮明に覚えています。


まさしく地震が起きた時に、おばさんは歩きながら神奈川の姉と


しゃべっていました。


話の途中で姉が ”アッ大きい地震!!TEL切るね又後でね!!” そう言って


TELは切れました。



薬局に戻りすぐにインターネットを見てビックリ…震度7!?


でもあまりピンときませんでした。 



TVをつけて…東京も揺れがひどく被害が出ているのを知りました。



おばさんは娘家族も親戚も友人も東京神奈川にたくさんいます。


TELは誰にかけても通じず、一番心配だったのは小学生と幼稚園児を



抱えた娘家族のこと。



江戸川の葛西に住んでおり、埋立地にて液状化が心配でした。



車で20分ほどのところに有るディズニーランド(浦安)のニュースを知った時は


東京へ飛んで行きたい思いでいっぱいになりました。



その後連絡がやっととれた時は、被災にあわれた方達には申し訳ない


気持ちでいっぱいになりましたが、すぐに飛行機の手配をして



九州に戻るようにつたえました。



自分達だけ!!…震源地は三陸沖…東京とは遠く離れてはいるけれど…


でも…もしも…そう考えるとやはり孫たちの顔が浮かび、九州に帰省



するように強く言いました。


無事に孫たちの顔を見る事ができたおばさんでしたが、東北の方達に



対しては報道番組を見るたびにうしろめたく、心が痛みました。



でも…福島の原発事故を目にした時は、これでよかった。



絶対関東には返したくないと…九州に引っ越す事を真剣に提案しました。



どこかに避難したくても帰るところがない方がたくさんいる中で


引っ越しを考えること自体が…自分達さえ良ければいいと考えてるようで



…間違ってはいないか?  やはり…心が揺れました。



おばさんは長男を亡くしていますので…娘達がもしも又…東京で余震が



有りひどい惨状になった場合どうなるのか?? 


考えたくはなかったけれど…失うものの恐怖がおばさんを襲い、


頭の中はもう…心配 心配 大丈夫だろうか?でいっぱいになっていました。



結果は元気に孫たちは東京に戻りました。



娘たちは娘たちで…東京の生活があります。



婿の仕事、孫たちの学校、幼稚園…私たちジジババが出しゃばって


口をだすべき事ではないこともたくさん。




娘たちも親ですからいろいろ悩んだとは思いますが、東京に住み続ける


決心をしました。





いつ関東に大きい地震が来てもおかしくないと言われています。



身内や友人も現在は元気に暮らしていますが、もしも…そう考えると



おばさんは又…失う恐怖がよみがえってきます。



娘はその時生きるか死ぬかは運命だと思わないと東京には住めないと



言います。



私よりはるかに心配性で…子供を溺愛している娘がそういうんですから



おばさんはこれ以上心配な言葉を娘にかけるのは辞めました。




忘れてはいけない東日本大震災…今でも苦しんでる方が



たくさんいます。    



それをTVで正視する事を避け…思わずチャンネルを変えてしまってた



おばさんでしたが、ふと見た場面であの日生まれた子供が5歳になり



15歳だった少年が20歳になったりして、たくましく育った姿と笑顔を



目にしたら、急におばさんは恥ずかしくなりました。




何事からも逃げたくなるおばさんはみっともない!!



悲しい現実を小さいながらもちゃんと受け止めて未来に向かって



生きて行く子供たちはまぶしくて、たくましく、しっかりと自分を持っています。



大事な日本の宝だとつくづく思いました。




おばさんは人生の中で今、最大の大波が…と毎日ハーハーフーフーいって



ただただ…ウロウロオタオタしていますが、今日又震災のニュースを



ちゃんと見る事ができましたし、感じる事がありました。



生かされてると言う事は、頑張る力をまだまだ持ってると言う事!




いくつになってもチェンジできる!。 チャレンジできる!。 学べる!。




メンタルなどに受診するとあんまり頑張らなくていいですよ…と先生が




やさしく言って下さいます。




人間それぞれ 生まれもった器はあると思いますが、せめて自分の器の



容量くらいは頑張っていっぱいにしよう゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚ と思います。



 



やれる事を今後も頑張る事は充分可能。



ちなみに2011年の年…おばさんは1年を通して体調がおかしく


年末にとうとうあまりにおかしいと検査をして糖尿病がわかりました。



症状的には自分でも重症だったと思います。



もうダメもうダメ…5年続きましたが今現在元気に過ごしています。



生かされている事に感謝…見守って下さる方達に感謝、サポートして下さる


方達に感謝!  感謝なしではおばさんは存在しません。



















































容量以上の事をしようとするから無理が生じます。