日本を離れるまで住んでいた、新浦安の写真を見ました。
どこもかも、泥水びたし。
大きく裂けたアスファルトや空に突き出しているマンホール、傾いた建物。
その中に、私の住んでいた家の前の、
ベコベコになった道路や傾いた交番の写真もありました。
日本に戻ることがあったら、また住みたいと考えていた町が。
液状化の可能性は昔から語られていたことだし、
ごくごく個人的なことで、口にするのもはばかられるのですが、
やっぱり、とてもとても悲しいです。
でも、こんな話も、読みました。
地震が起きた日、ディズニーランドでは、お菓子を袋に入れて配給してくれた。
若い女の子達が、多めにもらっているのを見て、「何だ?」と思ったが、
その後、その女の子達が、避難所の子供達にそのお菓子を配っているのを見た。
駅で待ちくたびれている人に、
ホームレスの人達が、「寒いから敷けよ」と、段ボールを分けてくれた。
私は、同じ日本人であることが、うれしいです。
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あれから、1週間。
日本~ロサンゼルスは16時間の時差があるので、
ニュースがこちらで報道され始めたのは、こちらの3月10日(木)の夜遅い時間でした。
翌日、3月11日は、朝早くからNHKのニュースサイトをつけっぱなしで、
あまりのことに、いつもの日常のもろもろは、まるで手につきませんでした。
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実は・・・・・3月11日は、フレッド君の誕生日でした。
なのに、「お誕生日おめでとう」という一言すら、忘れてしまった。
夜は、気持ちを奮い立たせてお祝いの食事に出かけたのですが、
とても、食べられない、食事が喉を通らない。
がんばって会話しても、気持ちが集中しない。
笑顔が、つらい。
彼は、よくわかってくれているので何も言いませんでしたが、
気持ちは凹んでいたことでしょう。
「誕生日」というとても大切な特別な日に、悪いことをした、と思います。
まだまだ、原発は事態収拾から程遠く、ガソリン不足でせっかくの支援物資が届かず、
真冬の寒さの中で不安な毎日を、避難所で過ごしている人々のことを思うと、
心が苦しいのですが、
今夜は、私が心をこめてディナーを作って、
1週間遅れで、フレッド君の誕生日をやり直しさせていただこうと、思います。
春よ来い、早く来い・・・ はやく、あたたかくなーれ。
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それではまた~ (^-^)/<がんばれニッポン!
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