週末母に会いに帰りました
子供達の習い事や部活で10月、11月は週末が潰れて全然帰れてませんでした💦
母は化学療法が終わり(上限に達ました)、今はゼジューラという卵巣癌の免疫治療薬⁇という内服薬に変わりました。
副作用を心配してましたが、一度だけ吐き気があっただけで特に問題はないそうです
いつもと変わらず元気そうでした!
寒さのせいか足の痺れは継続しておりそちらはやはり辛そうです
母と色々話しました。
まず、パート先のお局さんがパワハラモラハラ気質なこと😂
これまで辞めた人達はそれで辞めたこと、私は私の前にいた人の3ヶ月という記録を超えたこと
私は社会不適合者だと自分では思っているけど、反骨精神が強いのでむしろ辞めてやらないと思っていること。
嫌われても人前で叱責されて恥をかかされてもノーダメージどころか、愚かな自己紹介としか思っていないこと。
子供達のあれこれ
部活の試合が年内の分はようやく終わったこと
出不精で運動嫌いの息子が運動部に入ってくれて安心したこと
何をやらせてもそつなすこなす次男だけど、内容が上澄だけのような気がして心配なこと
発表会で褒められたこと
やりたくないことはとことんやらない娘のこと
赤ちゃんや猫が大好きだけど、いつまでも赤ちゃんでいたくて誰よりも甘やかされていたい末っ子なこと
母からアドバイスを貰ったり、愚痴に付き合ってもらったり、母の過去の話を聞いたり、沢山話しました。
お局さんに関しては、母の姉が就職した先に同じような人がいたそうです。母の姉は自分に自信があるので(母の姉妹はみんな)負けなかったそうです。仕事を覚えるにつれ、お局さんはいびれなくなり結果退職したそうです。
だからあなたも仕事を覚えるまでの辛抱かもね!でも、上には相談したほうがいいよ。と言われました。
今は例えちゃんと仕事をしてても、教えてないことやらないで‼️など言われます。お茶の汲み方や付箋の貼り方全部いつまで経ってもダメ出しをされてお局さんの正解がわからないですが、そのうち何も言わせないくらいになりたいです。
美容師の時には人に恥をかかせるような指摘をしたらいけないと教育されていました。
お客様の言い間違いを正したり、人前で叱責をしたり、そういうことは絶対許されませんでした
美容師に限らず大切なことだったんだなぁと今は思います!
母はあなたは接客業をやってたからそういう気遣いとか母より育ってる、学ぶことが多いと言ってくれます。
実際全然そんなことないんですが、大人になっても母に認められるというのは何事にも変えられないなと最近思います。
そして、一緒に家で映画を見ました。
私の中のあなたという映画です。
母としての立場もわかるし、兄弟の気持ちもわかる…つもりでいます。
本当のところは病気の子供も病気の兄弟もいないから想像でしかないけれど
悲しくでも美しい映画だとおもいました。
命に関わる病気とどう向き合うか
自分だったらまだ諦めがつくと思うけど、子供だったら取り乱すと思います
父母、親でも私は取り乱しました
今はもう父の死を受け入れたし、母の病気も受け入れています。
母の病気がわかったとき、母はショックを受けなかったし生に執着することもありませんでした。
私はショックだったしどうしても生きて欲しかった。
私から見る限り母は病気に対しては不安やストレスを感じることがありませんでした。
髪が抜けることも哀しみ嘆くことはありませんでした。
治療の辛さと、祖父より先に逝くかもしれないという心配はあったかもしれませんが、あとは受け入れてるように見えました。
だからか、病気がわかったときに私が想像していた未来とは違う今があります。
髪は抜けたりそういうのはけど、内面はあんまり変わらない母です。
弱音吐くこともないし、淡々としています。
癌ってことにストレスを感じたことはない。と言っています。
相変わらず待ち時間はイライラする気の短さも健在です。
母に会う度にホッとします。
最近は父がそばにいてくれてるなぁと感じる時が増えたそうです。
私が一緒に暮らしたい帰りたいと言った時に、普通に今まで通りに暮らしたい。と言っていた母
そうできているように見えます。
一匹狼な母とずっと一緒にいれるのは父だけだったんだろうな!
先月は謎解き宝探しゲームで市内の宝物を子供と探し回りました。
船に乗って離島にも行きました。
宝物を全部見つけたので、発見報告をして景品に応募しました
大賞に当たったら一緒に沖縄に行こうね!と話しています。
母との沖縄を楽しみに当選しますよーにと期待を込めて