noteで俳句に対する決意表明を書いた。こちらでも書いてるのだけど、誰も後ろにある新記事なんぞは読まないので、アメブロでは決意表明してないのと同じ状態にある。当て所(あてど)もなく詠み散らかしてるぜ、あいつ、とか思われてるかも知れない。当て所はある。終点は火葬場だ。今生きてる皆さんも、漏れ無く火葬場に行く。当て所は火葬場。なんも迷わなくてもよい。
自分で死のうとか考えてる人(私もよく考えました)は、直ちにそんな無駄な考えは捨てて下さいね。みんな、時が来たら死にます。自分から死ななくてもいいの。人間には消費期限があるから。期限が来たら肉体を明け渡さなければなりません。絶対にです。そこに留まりたくても肉体が無くなってしまうので、人は魂だけになります。この世に魂だけのものがいる場所はないから、あの世へ行くのです。
母が数年前に亡くなりました。母が居なくなるなんて考えた事もありませんでした。でも、母は不死身でも不老不死でもない普通の人間でした。ある日亡くなり、ガラス窓のついた木の箱に入れられ、数日後に火葬場で燃えカスになりました。あの日、私にも確実に順番が回って来る事に気付いたのです。
俳句の世界で「こうしなさい」、「ああしなさい」とちまちまとしたことを言い、やたら人を矯正しようとする人々がいますが、あなたち、まだそんなこと言ってんですか?余裕がありますね?と私は言いたくなります。そんな生き方してたら、明日死んだ時後悔するぜ、と思うのです。私は明日死んでも悔やまないように、今持ってる力全開で俳句を詠んでいます。
どうでもいいルールは無視するし、守るべきルールは守って、句材本位で読む事に決めたのです。地球温暖化のせいか、最近の日本は型通りに四季が循環していません。現実が型破りなのに、型を守ったカチカチ頭でリアルな俳句を詠めるわけがないだろう?って話です。
だから、私はタガを取っ払って俳句を詠んでます。もうすぐ人生が終わるんだから、好きにさせて下さい、と心から思います。noteに書いた決意表明をシェアします。その二件中の一件は調べると削除済みだったので、その元記事であるアメブロの記事をシェアします。
私が俳句の世界でしたいこと
2024/01/07 アメブロの記事
https://ameblo.jp/lemon-tei/entry-12835596538.html
2024/03/04 noteの記事(固定記事)、アメブロに元記事あり、それに加筆したもの
https://note.com/chibi1day/n/ne6d2297c0519