☆こんにちは、中学校教員レモラズです。身バレ防止のため、脚色を加えていることがあります。気楽に読んでくださいね。☆
先日、ある保護者の方と担任が話しておりまして。
まぁ、簡単に言うと、学校のルールが守れないことについて。
髪の毛を染めてくるわ、
私服でやってくるわ、
携帯触るわ、
音楽聴きながら授業受けるわ。
当然、注意しますよね。
でも、
「なんで?」
って言うんです。
「先生たちは、人を見た目で判断したらダメだっていうのに、髪の毛を染めたり、私服で来たらすぐ指導してくる。」
「授業はちゃんと受けてるのに、休み時間に携帯を触ってたら、指導してくる。文科省だって、もう携帯を持たせてもいいって言ってるのに。」←有識者会議の答申をよく読めばわかりますが、登下校時のみの話で、しかも校内の使用の制限もあります。
「つまらない授業で、自分に役に立たないと思うから、リラックスのために音楽を聴いてるだけなのに、先生はすぐに指導してくる。」
そして、指導するたびに暴れて教室を飛び出していくのです。
なぁなぁ、きみ、ルールって知ってる?
なんか最近、自分ルールを持ち込んできて、自分には(正当な)理由があるからルールを破ってもいいんだという感覚の子が結構いて。
保護者も然り。
そして、ルールを守れない人に限って
「そのルールってなんの意味があるんですか?」と言ったりするのです。
わかりますよ、古い古い遺跡のようなルールが残ってるところがあるのも。
今回、お話しさせていただいた保護者さんは、
「うちの子は、他の子と違って特別なんです。きちんと納得したら、そのルールを守れます。納得できるように話してやってください。うちの子は特別だから、その子に合わせて指導したり、納得するように話すのも、先生たちの仕事でしょう?我が家は、うちの子に勉強をさせたいんです。勉強さえしてたら、あとはどうでも構いません。うちでも一応は言いますけど、本当に学校がルールを守らせなきゃいけないんだったら、学校があの子を説得してください。」
と、おっしゃる。
最近、個に合わせた、個に応じた、という言葉が一人歩きしてるけど、
私たち教師は、数百人の子どもたちを預かっているわけで、
その子たちに集団生活をさせようと思った時、
ルールが無かったら、中学生なんてぐちゃぐちゃになってしまう。
「個に応じた」っていうのは、あくまで学校のルールに則った上での個別対応であって、
そんなに自由にやりたいなら、
外でやればいい話で、
今、学校に通うことも、だんだん必須ではなくなってきてるし、
なんなら「教育を受けさせる義務」は親の義務なのだから、それこそ家で教えて親なりホームティーチャーなりに教えてもらえば、(親が)その子に合った(と思っている)方法でも、教育を受けさせられるわけですよ。
まぁね、決して学校の指導がいつも正しいとは限りません。
だけど、「みんながそれをやったら学校生活はどうなるの?」と思いを馳せることすらできない親子が多いのは、本当に困ります。
休み時間に携帯をさわる?
隠れて誰かの写真を撮って、いたずらするかもよ?
音を切り忘れて、授業中に鳴るかもよ?
休み時間にゲームなんか始めたら、授業中、本当に我慢できる?
授業中に音楽を聞く?
その授業内容が必要がないとかあるとか、中学生が本当に判断できる?
その判断は、それでいいの?
興味があることとないことがあるのはわかるけど、興味がないから自分の好きなことをしていいの?
学校って、なんなんだろう?
そんなに個別の好き勝手なことをなんでも受け入れろというのだろうか?
本当に教育を個別化をするなら、それなりのシステムと教員の人数が必要なんですよ。
このところ、この手のケースが続いてて、正直、うんざりでございます。
みんな好き勝手なことを言うよなぁ、って。