親戚の方々は予定通りに帰っていかれました。

 

これは泊っていった夜のお話。。。

 

夜、親戚の皆さんの話が盛り上がっているところに母から電話が掛かってきて、それで私は親世帯から離れて自室にいました。

だんなはその後も夜中まで親戚とお話ししてたようです。

 

 

朝になって聞いたことは、、

親戚の鬱というか引きこもりだった男性(だんなにとっては従兄)が発達障害だったと。

そして親(だんなにとっては叔母)も発達障害だろうと。

従兄は今は障害者枠で就職して仕事してるということで、よかったなぁと思いました。2回しかお会いしたことないけど、優しそうな愚鈍な小心者という感じで。嫌な印象はなかった。場になじめない感じではあったけど。

 

今は発達障害もかなり知られてきたけど、自分の子どもはそうじゃないって否定する人もまだいるみたいですね。

昔の人ならなおさら。

 

 

その話を女性トイレにしていたら、発達障害とは別で、生まれてからの虐待とかいろんな環境のせいで脳の一部が萎縮してしまうとか、、そういうのもあるという話を女性トイレが教えてくれました。

 

今、私が読み始めた本に少し似てる。

私のは親からもらったよくない因子&よい生育環境が合わさると、とんでもないハイブリットな人が育つ(いい意味です)、、というような内容の本。

(まだ読み始めたばかりなので本来の内容からずれていたらごめんなさいですが)

 

 
すべてにおいて理想的な環境がそえば良いというものでもなく、もろもろ混ざりあった化学反応がどう起こるのか。
緊急時の実に発動するような能力もある???

 

 

 

そして女性トイレが私に聞きました。

『自分のことを発達障害があるかもって思った瞬間てある?』

 

私は『ある!』と答えました。

なにか自分のどんくささとか、できなさとか、変な癖があるというか、、ただ変わり者っていう以上のなにかを感じることもあるから。

子育てしてた時も自分の子どもがそうかも?という視点で観察はしていたし。

 

 

女性トイレからの答えはこうでした。

『発達障害というより、生まれてから生育していくなかで◯ちゃん(実父)から言われたこととかされたことで、脳のどこかが萎縮してるとかいうのはあるかもね凝視びっくりマーク

 

まぁ、なんとなくモヤッとはするけど少々納得できなくもなくて。

私にとって父は意味不明な地雷ポイントを備えたおそろしい存在でしたからね。

 

 

まだまだ人生という勉強は続きます。