ある時間労働者の日常

ある時間労働者の日常

なんとなく過ぎてく日常のあれこれを書いています。
仕事と趣味、同居話など^^


            

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パートタイマー&気まぐれに繊維を使う手芸などなどやってます

最近は高齢の母(2024.3月~要支援1➜2025.8月~要介護1)や同居の義母のことも。

母が家に帰りたいというのをだましだまししながら、高速道路を何時間も走り続けてようやく夜に我が家に到着しました。

荷物どっさり。。。

途中は休憩多めだったから疲れはいつもよりは少なめ。




家ではだんなの母が待っていて迎えてくれました。


母は落ち着いてる。

落ち着いてみえるけど、無事に定着できるのかな???


自宅に戻ったその夜から風呂に入り込んで入浴介助。。腕の傷がなおるまでは入浴介助も続きそうだ。

お風呂の前、腕のガーゼにラップをぐるぐる巻き、スーパーの大きなビニール袋を腕にかぶせて輪ゴムで止める。

入浴後は傷口の消毒。

それだけで時間はまぁまぁとられる。


勝手が分からない母にいろいろ教えてまわる。2年前にうちに滞在した時は問題にならなかった事がじわじわ露呈してきた。


その夜、私は母のベッドの足元でごろ寝することにしました。

少し離れたところに私の寝室があるけど、寝てしまえば母の様子がわからなくなるからです。


毛布があれば布団なんてなくてもいい季節だったので、母はベッドに寝て私はベッドの足元の床に丸まって寝た。なんともサバイバルなかんじ。


案の定、慣れないところで落ち着かない母が夜中トイレに行くのに迷ってたりして、『こっちこっち!』と誘導したり。

決して広くない空間だけど、それでも分からないことだらけなんだな。


さて翌日からは外科受診がはじまります。

いよいよ引越し当日。予定どおりに10時前に実家を出発。

母と引っ越しの荷物で満杯になってる。

母の服(春夏秋メイン)、持っていくと決めた本が少し、むかしの写真のアルバム(独身時代のもの)、アドレス帳とメモ帳、お薬、貴重品(マイナカードや通帳とハンコ)、羽根布団とシーツカバーなどなど。

いつもの帰省とちがってものすごいボリュームになりました。

 

妹は私たちを送り出した後に残り、最終的な家の終いをしてブレーカーや電気温水器を止め、翌日に実家を出発する段取り。

 

 

いつものように出発前に家族全員で写真を撮り、車から妹に手を振って出発したのでした。

車で10時間はかかる長旅です。

今回は高齢者がいるので休憩時間と回数多めで移動時間も長くなると思っていたけど、実際に移動が始まってみると苦行としか言えない時間になったのでした。

 


母、要介護1、認知症。記憶力が落ちてきている85才。夫を亡くして15年間一人暮らし。

 

そんな母が実家から出発して30分も経たないうちに

牛『家に小さい子供を残してきたから心配であせる家に連れて帰ってほしいショボーン』と言いだしはじめたんですわ。

家にいるのは次女うお座(仮に、さんとでもいいましょうか)で家の鍵を閉めてから帰るから大丈夫!!!

何度説明をしても、母の耳には届かない。くりかえしくりかえし、家に戻してほしい。もよりの駅に下ろしてくれたら電車で帰る、などど言い続けます。

 

母の心の中にいるのは子どもの頃のさんのようです。


出発したばかりなのに先が思いやられました。

引っ越し前には自分の友だちとも会っておきたいおねがい

母が負傷する少し前に地元の友だち2人にも声をかけました。

引越し準備で帰省した時に会えるかなと。

実に久しぶりで気まずいくらいグラサン


なんでだろう。この数年はとくに母の生活を整える意味で帰省して、いっぱいいっぱいだったんだよね。


実家はとりあえず残す予定だからまだ帰ることはあると思うけど、会えるなら会っておいた方がよいと思って。

ひとりは実家のすぐ近くで小学生の頃からの友だち。もうひとりは中学からの友だち。高校も3人でかたまって通っていたなぁ。


今では3人とも実家から離れていて、1人は地元、私ともう1人は他県にいる。わたしがずっと遠いけどね。



友だちでも会わなくなると次第に距離があいてくるもの。

何年か間をあけながら会ったりしたけど、、今まではまぁ昔と大きく変わってなかった。


今回もまぁ昔と変わらないなぁと思ったんだけど、少しの発見はあって。

まぁよく話す1人。

合いの手とフォローする1人。

話を聞いてることの多い1人←私てへぺろ

あれあれ。私自分で思ってた以上に話さない人だったんか??って。

それが意外と心地よくなくもないんだよね。ただもう少し自分の思いを話さないと、、相手主導のオートメーションになるのでは?、、と心のなかで高校生の私につぶやいてみた。


いい時間でした。

また帰る時には声かけてと言われたけど、また会えるのかな。

地元の愛する路線↑
廃線になる危機を迎えている。
いつまでも生き残っていてほしいところだが遠方なので気軽に乗りにもいけないという、、


本当はもう一人、別の日に声をかけたかった友だちがいるんだけど、たぶんそこまでの時間はないだろうと思って今回は声かけず。

会える日がくるのだろうか?

引っ越し前の一週間は妹が実家で母に付き添い、2日前から私とだんなが帰省して合流。


合流の前日には母の弟夫婦が訪れて昼食を一緒に食べていってくれた。妹が段取ってくれた。


事前にできる手続きや連絡などは済ませて、私たちが引越しの前日の夕方に到着右矢印一晩寝て起きたらもう出発の日なのでした。


荷物は思いつく限り、とりあえず春夏の着替えと貴重品をメインに絞りこんでまとめた。

一族の荷物などもいろいろあるけど、すべてを持っていけるはずもなく置いていったものの方が多い。

それでもこちらで準備した新しい母の部屋に入りきるかどうか??もう考える気もなくて最後は適当になった。

残していく荷物は気になるけど置く場所がない以上、仕方なかった。


夏物の服は前回の帰省時にある程度持ち帰り済み。

今回の荷物は衣類、貴重品に加えて布団などの母の日用品も。

大人3人と引越し荷物でワンボックスカーが文字通り満杯になった。


妹はあと1日実家に残り、家の最終の後始末をしてくれることになっていた。

いつもの帰省帰りのように午前中に車で出発した。

近所のおばちゃん1人が出てきて見送ってくれた。

母がお引っ越し直前に庭ですベって左腕に大きな切り傷を負ってしまった話の続きですおねがい

もの忘れもじわじわ進行中、小さな子供がいると思い込んで夜中にいなくなったからと大騒ぎしたり、いろいろありました。

それでも歩いてスーパーまで買い物に行き、自炊し、使い方がよくわからないながらもスマホで電話をかけたり、どうにか一人暮らしをしている状態でした。


引っ越しまであと1週間からがラストスパートにきつい日々になってしまいました。

その前の週にも家の仏壇仕舞いで週末に私と妹は遠方から帰省していたのですから。

さすがに毎週末に帰省するのはきついだろうということでその週は自宅で休む予定だったのですが。



突然の母の負傷により

毎日の受診(傷の消毒)、片腕に傷があるから無理させられないことにより、発生するもろもろ。。

傷が化膿しないように疲れすぎないようにしないといけないし、栄養もしっかり取らないといけないし、お風呂ではガーゼを塗らさないようにラップを巻いてビニール袋をかぶせて入浴介助も。

すべては負傷しなければ必要なかった世話。。まぁ仕方ないとは思いつつも疲れた日々でした。


妹が早めに帰省してバトンタッチしてからも、引っ越しした後もしばらくはそういう状態ば続きました。


さいわい?ものすごい傷なのに母はあまり痛みを感じなかったようで平気な顔してる。。。。

これって認知症のせいで鈍くなっているからだろうなーと考えて、逆におそろしくなりました。


もしも傷が膿んできたら1回傷をひらいて膿を出してまた縫い直すかも、と言われてたけど傷の治りは順調で助かった。




そういう事の合間に引越しの荷物をまとめていくわけです。

それがまた、母と相談して決めた服がどんどん入れ換えられていくのです。

夜にセットした箱の中身が朝には別の部屋の箱の中身とごちゃ混ぜになっている。

母が混ぜているわけです。母に聞いても動かしてないよと言うんだけどね。ものを動かすというのは認知症の特徴のひとつだと、以前デイサービスの職員さんが言っていました。まさにそれが起こっていて、、一生懸命に仕分けした荷物がワケわからん状態になっていて、、もう脱力感煽り

時間は限られているし作業はやり直しになるし、紙に《動かさないで!》と貼ったところで物は移動していくわけで。

最後の方はもうどうでもいいやという気分でしたな。