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どうぶつ愛護ってやつ。

クチコミネタ:動物愛護

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さて。動物愛護についてあひる

たぶん、この言葉って、かわいいだけが先行して飼ってしまったけど
いざ飼い始めたら、世話が大変だったりして飼うことが難しくなって
そっと道端の段ボールに今まで散々愛していたペットを入れて去って行ったりとか、
人間の欲のために毛皮のために殺されちゃったりする動物について、

もっと動物のこと考えてあげましょう!

ちゃんと最後まで面倒みてあげましょう!!

っていうのがよくつかわれてる意味だと思う。


けど、違う意味で私にとって動物愛護ってやつは聞くだけで心が痛い。


私は、動物愛護しすぎ症候群です。

可愛がりすぎて可愛がりすぎて、動物がノイローゼになってしまう・・・。

餌とか、一日3食のところを何回もあげたくなったり、

なでまわしすぎたり、

見つめすぎたり・・・・。


植物もそう。

水は1週間に1回でいいのに、気になって気になって1日1回あげて
結局最後は水のあげすぎで枯れていく・・・・・・・・。


・・・動物愛護って難しい(笑)



冗談(じゃないけど。)はさておき、ここらへんで本来の意味でほんの少し私の意見を…。

動物愛護って、飼い始めは誰でも愛護してる。

何で飼い始めたら、愛情が薄れていくのか?

飼えなくなったら何で元のペットショップに相談したり、引き取ってもらわないのか?

どうしても飼えない事情でも、愛情があれば何とかして
貰い手を探そうとするのが本当の飼い主。


すぐどこかに放したりするのは、ほんとうに究極のエゴ。

その人の一瞬の気持ち、「これぐらいなら放しても大丈夫」とか、

犬だったらそこらへんにいっぱいいるから、まぁどうにかなる。とか

思ってさよならするのは、無責任すぎる。


自分たちにできることはなにか?

なんて、簡単な質問。

っていうよりも、基本的なこと。

自分たちにできることは?じゃなくて、自分たちがしなきゃいけないこと。

ペットも人間と同じ。

最後まで責任を持って自分の責任は果たすこと。

自分の身になって考えること。

明日急に家がなくなったらどんな気持ちになるのか?

平気でそんなことする人に動物を飼う資格なんてない。


生き物を飼うってことは、その生き物の責任まで自分が持つことになるってこと、

キチンと自覚して初めてその生き物を飼う資格が与えられるって思う。


軽々しく、「飼う」って行為はしちゃいけない。

命を「買う」ってこと、よく自覚してほしいです。


それから、毛皮の件。

これに関しても、簡単。

フェイクファー商品で十分ってこと、気付いてほしい。

○○の毛皮です。

っていっても、本物かどうか分かんない人がほとんど。

その価値も分からない人がほとんど。

それなのに、わざわざ何十匹もの動物の命を犠牲にして
毛皮のコートを買うって、ナンセンス以外のナニモノでもない。

今でもいろんな動物の毛皮がはぎとられ服やバッグに変身していること、

それはまぎれもなく私たち人間のためになされていること、

その製品を手にしたとき、ノーと言えること、

フェイクで十分だと胸を張って言えること、

大事だと思います。


ただ、その毛皮をとって生活している人もいることの
生活だとかあるけど、そんなのはどうにでもなる。

働くところがない?

昔からの家業??

その人たちのために毛皮を買ってるの??

人間なんだもん、考えれば考えるだけいい答えが出る。

その人たちの生活だって、どうにかできる。


もっと、考えて、もっと話し合って、今の現状をよく知ること、

遠い世界の話じゃないこと、

今、自分で自覚すること、

それがいま、たったいま、この時間に自分にできる素敵なことだと思います。