あと数日で、この部屋からもおさらばできます。
霊的なものがいるんじゃないか?って思うくらい、不調になりやすい部屋でした。🙂今月頭くらいからお清めの塩を部屋に置き、消災呪というお経を壁に貼っています。
色んなことをぼんやり考えていました。
怖がりだったので、怖さを消すために薬の力も借りたりして、とにかく頭が考える行きたい方向に、少しでも早く行って先に進まないと、とばかり思ってました。
「もうやめときなはれ」は、私の場合は、「執着」や「エゴ」に従うときに、頭痛や倦怠感としてサインを出して、自傷に近い嗜癖行動がそれを悪化させていました。表面上は成立しているものだから、外には見せないようにしていたけど、ずっとそんな感じでした。

あれから20年近く経ってやっと、自分への執着を手放さないと、自分は生きていけないと「もうやめときなはれ」は教えてくれました。
神様は、「この道が正しいから進むと良いよ」とは言ってくれないけれど、「この道はもうやめといた方がいいよ」は教えてくれます。
最近私は神様の話が多いですが、執着や自分の思考を手放すと、勝手に見えるところに出てくるようになりました。(見えてる訳では無いですよw)
結構若くして亡くなった人や、私より若い年齢で亡くなった人も、家業や知人の関係で何人も知っています。寺に生まれたせいか、死はそれほど特別なことではなく、日常的な景色の一部でもありました。ただ、他人の死と自分にいつか訪れる死とでは質が違うもので、想像はできても実感はできないものでもありました。

終わりが分かっているから、今を大切にしようと思える。
終わりはいつ来るか分からないから、今一番大切なことをやっておこうと思える。
その人それぞれに合った歩みのスピードや、緩急があります。
それは外からよりも、内側から教えてくれたことが多かったような気がしています。
間違えたことの少ない人を見て羨ましく思ったりしますが、沢山間違えるとその分だけ自分の根っこは見えないところで育っていく気がします。これまでにあった良いことは忘れたりしますが、根っこは忘れたくても忘れません。