住んでるとこの横にゲートボール場がある。

ロープで仕切られているが、ゲートボール以外では使ってなく勿体無いので、勝手に入ってベンチでぼぉっとしている。

何か言われたら謝るなりすれば良い。


身体の調子はまだ30%ほどだが、連休をただ寝て薬を飲むだけで過ごすのはしんどいので、夕方に例の林道にでかけた。



薄暗くなってくる時間帯に、我こそは!と人気のない場所にくるのは私くらいかもしれない。イノシシくらいいてもおかしくない雰囲気である。

まあそういうもの好きはいつの世も少数だろう。


晩夏といってもまだ暑く、蝉達の鳴き声で木々のさざめきがかき消されるほどでした。

蝉の一生は短く、そんなことを考えて歩いていたら、人間もセミも与えられた生命という意味では全く同質だよな、と体感しました。


意味を追うのは人間。

セミはただ生きてるだけ。


何事も、現場に行って体感することが、感じる、ということの本当の意味かもしれません。自然の多いこの環境は、見方によっては保守的な田舎の人間模様ばかり伺えますが、違う見方ができれば、自然というものが何かを教わる良い機会になるのかもしれません。