淡々と過ごしても、OFFにしていた人間的感情は、家に帰れば自然とONになる。

20代の頃は性欲が邪魔して、いろんな判断基準がブレた。

性欲は虚栄心と繋がりがあるようだ。

この年頃、段々と性欲が減ってきて、虚栄心が減ってきたのが分かる。

 

性欲が減って、異性に対して惹かれる頻度が著しく減った。

と同時に、人生で必要なものを、性欲に頼っていたことも知れた。

今は特に欲しいものがない。

異性に自分を良く見せたいと思わなくなって、自分が男性なことを意識する事が減った。



通ってきた道は、数年前から徐々に沼地になっていったのだけれど、

自分の小さな沼地については誰かが理解できるとは思えないので、今も日記を書き続けている。紙の日記。

大した沼地じゃないのかも知れないが、「これ以上何もない」という感情を確認したのはあの時が初めてで、あの感覚は今も隣にある。生活に必要なもの、あったら楽しそうなもの、行ってみたい場所、そういうものが全てどうでも良くなって、生きることそのものに、もうひとつも向き合う意味がないという感じだと思う。

 

そうした壁を、少しずつ取り壊そうとしている。

いや、避けて違う道を作ろうとしているのかも知れない。

これは言い換えれば、無気力や無力感との戦いである。

 

何かに行き詰まるというのは、この先が見えなくなることだ。

そこで病むこともあるし、そこで道が消えることもある。

そうやっていなくなった人が、周りにもいた。

 

どの道どこかのタイミングでいなくなるのは分かっていただろうけど、答えを急いだのかも知れないし、もううんざりしていたのかも知れない。

 

河合隼雄氏の言葉を思い出した。

 

 

人は再生を望むために、死を望んでいるという見方もできる。

破壊は再生を生むし、逃避はリスタートの始まりだ。

どんな風に歩いても、また歩き出すのはこの足である。

自身の、この足しかないのである。

 

暗闇から歩き出すのはもう6回目くらいだろうか。大きな心の変化をぐちゃぐちゃになりつつ淡々と繰り返している。

10年程度の大して長くはない期間ではあったが、考え続けてきたから、同世代の人間より上の世代の人たちの方が共感するところが多い。

 

今は、小さくても確かな光を、心の底から求めて彷徨っている最中かも知れません。