毎日いろんなことを考えます。
個である私は点にすぎないけれど、信条によればこの点も世界という大きなものに繋がっているのだと思えば、不思議でありがたい気持ちになったりします。
不満というものは、欲望、つまり執着から少しずつ膨らんでくるので、
不満や愚痴が多い時は、欲望の量が適切でないということになります。
欲望じゃなく、欲求レベルまで全体量を下げる事ができれば、
欲しいものや手に入れたいもので悩む事が減ると思います。
答えを知っていても、実際にそれができるかはまた別の話になります。
隣に人がいれば否が応でも比較する生き物なので、それがしんどければ人里離れた場所に住む方が楽かも知れません。
しかしそんなことをしたら、多くの人は孤独感に苛まれて予期せぬ方向に行ってしまう気がします。
だから、結論としては、比較しながらも自分を保っていく方法を編み出していくより他ないのだと思っています。
八百万の神のいる神社に行っても、お祈りやお願い以外に、できることはない気がします。
一番簡単で、何の投資もいらない(あるといえばお賽銭くらい)気軽な方法です。
神様に手ぶらでお願いするのは失礼ですが(笑)、5円の投資で願いが叶うなら、まるで宝くじをやってるような気分にもなります。

22歳の時に、ゼミの教授に仏教の苦について質問をしました。どの本にも正解が書かれていなかったので聞いてみた次第です。
苦というのは、「苦しみ(辛く苦しいこと)」という意味合いにはなりますが、私はパーリ語(当時のインドで使われていた言葉)を直訳した故中村元先生の「苦=思い通りにならないこと」という意味を採用して生きています。
思い通りになると思っていて、尚且つそれなりに思い通りになってきた時期もあったけれど、
身体が山下りを始めると、思い通りにならないことが芽を出し始めることに気づきます。
昔は分からなかった事が分かり始めてきて、逆に今は嬉しい気持ちもあります。
思い通りにしようと思うところに必ず苦しさが生まれ、
それを手放そうとすると、苦しさは薄くなっていきます。
坐禅の形をとって坐り、ただ呼吸を整えて、自分という点と世界とのつながりをイメージしながら坐ります。
それをしていると、この人生は自分自身の所有する人生ではない(haveではない)ということに気づく瞬間が生まれます。
何事も、身体で気づくことで変わっていくのでしょう。私にとってのマインドフルネスは、こんな感じです。
揺れている天秤の秤を水平にしていくような静かな作業です。