関西方面から自宅に戻ってこれたのは昼過ぎでした。総合して、行くのに一日、戻るのに一日かかりました。

旅というより、虚しさに向き合わないために自ら設定した逃避行でしたが、普段考えれないことに気づけるような瞬間もあり、本来の目的とは違う部分で得たものがありました。

 

昨日は、出雲大社から松江に移り、松江から米子道と中国道を東に進みました。

土曜日は、予算的に取れる宿がなかったので、加西というSAで22時から深夜3時ごろまで寝ました。

寒くなってはエンジンをつけて、また切って寒くなっては、、を繰り返し、3時半にそこを出発しました。

途中のSAに松家があったので並のセットを食べカロリーを取りました。

フードコートのいくつかの店を一人の店員がワンオペで接客していました。女性の店員でしたが、いくら時間帯的に稼げると言っても、こんなきつい時間帯に働いていることに頭が上がりませんでした。



明け方、また京都につきました。

碁盤の目になっている市街地は走りやすい割に、意外と景観も変わるのでそれほど飽きませんでした。

国内でも、こういう雰囲気の街は京都しかないなと思います。人はたくさんいるのに、静かで洗練された印象を持ちます。

阪急大宮という駅の前を通ると、始発まで飲んで帰ってきたような30代後半ぐらいのグループを見かけ、「若いなぁ良いなぁ」とちょっと羨ましく思ったりしました。今住んでいる田舎町では、近くの駅まで歩いて30分以上かかるので、人と飲むことがほとんどなくなりました。

 

鴨川は、すでに桜が散り始めているようでしたが、朝のランニングをしている人は多かったです。

鴨川の存在感は大きかったです。たまたま通った銀閣寺近くの哲学の道でも、桜が満開の様子でした。

 

そのあとは、下道で進んだり、高速に乗り換えてSAで仮眠したりしながら、昼過ぎに自宅に辿り着きました。

顔も洗えず身体がべっとりして、やっぱり車中の仮眠は身体に悪いなと思いました。



今回、人がそれなりに集まりそうな場所ばかり行きましたが、単独行動をしている人はあまり多くは見かけませんでした。

子連れは大体私の年代が多いので、どこか行くたびに視界に入り、比較してしまいます。

なるべく視界に入れなきゃいいんだと思って、下ばかり向いて歩いていました。笑

出雲大社で下ばかり見てるのはちょっと勿体無いですが。視界に入れなければ、苦しくはなりません。

 

比較したくなければ、視界に入れなければ良い。

比較しなければ、苦しさの大半はなくなる。これまでの自分とだけ比べたら、今は随分良くなっているのだよ。

 

岡山や松江で店員と話す機会がありました。一方はひどく愛想がなく最低とも言える接客で、もう一人は穏やかな接客でした。

どこに住んでいても、変な人やイライラしてる人はいるし、仏のように穏やかな人もいる。私は、世間が狭かった中学時代に、フラストレーションの溜まった同級生からいじめを受けたせいで、「世界って最低な場所なんだ。」と誤学習しましたが、後に別の世界があることを知って、「嫌ならそこにいなきゃ良いのか」ということを知れました。

 

自分に合わない環境や場所がこの世には存在する。自分が合わないと思ったなら、その感情をいちいち疑う必要はない。感情は自分固有のもので、そこに間違いは存在しないから。

 

多くの人は、環境が自分を作っていることに気づいてない。視点を変えるともっと身軽に生きれることに気づける。

誰も自分を縛ってない。他人の声を拾った自分が自分自身を縛っていることに気付いたなら、そこから出られる。

 

帰りのSAで、この前50歳になった先輩とLINE通話しました。

「日本が幸福度が高くない理由は、格差とか税金とかもあるとは思うけど、、、閉塞感が半端ないからだと思うよ。」

そう言っていました。

欲しいものを買えるようになっても、別に幸せになった感じはしませんでした。

日本のどこに行っても、、西でも東でも、、どこでも大して違いは感じませんでした。同じ感覚を共有してるんだ日本中で。

大人達が大して楽しそうにしてないのを子供の時から見ていて、まんまそんな大人に自分がなっていることに驚愕します。

 

今回の行動では、広く見知った分だけ、今自分がいる環境が限定された環境だということを知ることができる。

と学びました。



今回も自分のための日記になってしまいました。

関西も嫌いじゃなかったですが、私は東の方が合ってそうな感じがしました。(汗) 良い場所があったらまた教えて頂きたいものです☺️


終わります。