家に帰って、何かを綴りたくなって、PCの電源を入れた。
書棚から、加島祥造氏の「求めない」がタイトルを覗かせていたので、パラパラとめくった。
もう答えはあるのに、身体を無視した頭の声に翻弄されて、敢えて遠回りをしている気がしてきた。
五欲を去れだの煩悩を捨てろだのと
あんなこと
嘘っぱちだ、誰にもできないことだ。
「自分全体」の求めることは
とても大切だ。ところが
「頭」だけで求めると、求めすぎる。
「体」が求めることを「頭」は押しのけて
別のものを求めるんだ。
しまいに余計なものまで求めるんだ。
こうも言っている。
ほどよいところで止めるーそれがポイントだ。でもそれができなければ、ときには
もう求めない
と自分に言ってみるだけでいい。
すると、それだけでもいい気分になると分かるよ。
このことはもうずっと前に気づいていたけど、
人というのは不完全な生き物で、すぐに頭に頼った道筋を作り出す。
求めるところに苦しみが付随するのは真理だが、それを無くそうと禁欲するのではなく、
「求めない」と自分に寄り添いながら呟くのは自然な正解だと思った。

「求めない」生活なんて、一握りの人しかできないと昔は思っていた。
トライアンドエラーを繰り返していくと、皆がこぼれ落ちないように頑張って耐えている壇上に、自分はもういないと気づく瞬間があった。それは全然寂しい事ではなく、悔しい事でもなく、自分の本来の大きさに近づいていく過程なのだなという実感があった。
壇上の人たちは、こぼれ落ちないことに必死で、周りの人を傷つけたり、自分自身を傷つけたり、せわしなく見える。
何かを守るために色々なものを犠牲にする。犠牲の中に自分自身も含まれているのに、「そういうものだから」という忍耐と無思考が組み合わさったようなものを感じる。家庭があると、守らなきゃいけないという強烈な義務感が生まれるのだろうか。守るものがない私は、失いたくないものがないだけかもしれない。だから分からないところが沢山ある。

求めないことに気づいたら、もう求めなくて良い。
気づいて、実行しないと、ただ気づいただけだ。
せっかくそれに気づく経験をしたのだから、その経験や記憶をもっと大切にしなきゃなぁ。
明日晴れたら、朝散歩でもしようか。
壇上でも壇の外でもなく、平らな野原に浮かんでいる風船のようなものかもしれないね。