ここのところ過重労働が過ぎていたので、何も考えない為の日を設けることにした。


八 火花

 彼は雨に濡れたまま、アスフアルトの上を踏んで行つた。雨は可也かなり烈しかつた。彼は水沫しぶきの満ちた中にゴム引の外套の匂を感じた。
 すると目の前の架空線が一本、紫いろの火花を発してゐた。彼は妙に感動した。彼の上着のポケツトは彼等の同人雑誌へ発表する彼の原稿を隠してゐた。彼は雨の中を歩きながら、もう一度後ろの架空線を見上げた。
 架空線は不相変あひかはらず鋭い火花を放つてゐた。彼は人生を見渡しても、何も特に欲しいものはなかつた。が、この紫色の火花だけは、――すさまじい空中の火花だけは命と取り換へてもつかまへたかつた。


或阿呆の一生 

芥川龍之介の後期の作品だが、この章の後半部分は、

うまく言えないが、すごく共感するところである。

なんか前も書いた気がする。



景色の綺麗な場所に行ってきた。

最近は山方面に人が多い。行楽地でもない山が人気なのは、キャンプが流行っているからだろうか。

私はただ景色が見たいだけなので、久しぶりに休みが合った高校時代からの友人と、完全にchill目的で山の方に行ってきた。


虚栄心のなくなってきた私は、カッコつけることもほぼなくなり、オッサン化してきている。角がとれてきたのか、鈍くなってきたのか自分じゃ判別がつかない。


今住んでいる場所はそこそこ田舎だが、そこそこ店もインフラも整っている。住みやすいといえばそうだが、田舎には田舎特有の「孤独」や「むなしさ」が常にある。都会は都会で他人に興味がない人が多いが、今の田舎も他人への興味のなさは都会とそう変わらない気がする。世代が変わっているのだから、考え方は日本中が「今風」になっている。

スマホがあれば、ごまかせるものが多いのも一つの理由か。



思考が紡いでいくものは、行動を邪魔することが多い。

なかなか大きなブレイクスルーに至れないのは、思考が邪魔して自分の感情がはっきり見えなくなっているからだと思う。だから小さく小刻みに変えていくしかない。


思考はどこまでも複雑にできるが、

感情はシンプルなものである。


変なユズが途中の無人販売のとこに売っていた。



ゆずにしては、いくらなんでもでかすぎる、、気がする。

さつまいもや里芋と比べて、大きさがバグっている。

本当にあの、風呂に浮かべたりする柚子なんだろうか。


帰り道、道端に鹿がいたらしい。友人が言っていた。

chillできたので、今日は久々に良い1日を送れました。