
年の瀬が迫ってきている。
人事を尽くして天命を待つ。
そんな言葉がピッタリ合うような、ただ目の前のことをやり続ける毎日。
12時間近く働いていると、自分というものが無くなっていく。
ただ意識が、景色を感じ取っているだけのような乖離感を持つ。
何か歯車が一つでも狂えば転げ落ちそうなのに、ギリギリ保っている。
時間の問題かもしれないが、この先にどうしても見たい景色も大してないので、もうどうでも良いよなぁと思ったりする。
友人と話したが、的を得ないアドバイスをされ、感謝はしたがありがた迷惑だった。
聞いてほしい時にアドバイスされるのはちょっとしんどい。
アドバイスは正論だったけど、そんなの分かってるよ馬鹿にすんなよ、という心の声が小さく聞こえた。
正論は人を傷つけるだけだ。
正しさというものにどれだけうんざりしてきたことか。笑
自分1人で物事を考える方がうまくいくことが多い。協働作業が苦手なのかもしれない。

土日も持ち帰りの仕事をしていて、ふと思った。
見たくない現実を見ないようにするために、忙しいフリをしているだけなのでは?と。
見たくないものが増えていくのは加齢のせいだけではない。
自分が「何かおかしい」と思うことは、実際に何かおかしいことが殆どだった。
けど解決したいとも思わないのは、やっぱり諦めなのかな。
動物や昆虫、生物と呼ばれるあらゆるものを観察しても、未完成なものはない。
人間も、どんな個体であれ皆完成品であるのに、人間界では「自分は未完成である(成長せよ)」というテーマがどこかしこに溢れている。
未完成な演技をするのはやめて、完成品としてそこに居たいのになかなかうまくいかない。

何かを頑張る必要もないし、苦労したり努力する必要もない。
人(ヒト)は生きる時間が長いから、その時間を有効活用したい人が成長論を促しているだけと思う。
また、人生は暇つぶしという人もいるけど、そこまで極端に考えなくて良いと思う。
人生の時間に意味は持たされてない、というくらいで良いんじゃないかな。
諦めながら生きる方が自分に合っている。
逃げ道を常に確保しながら、風来坊のように生きる方が自分には合っているのかもしれない。
その人が生まれたことは、天命によって定められたものなのだ。
人事を尽くして天命を待つ。
最近しっくりくる言葉です。