寺の墓周りの掃除をする。


掃除をしているほうが、楽しいことを探している時よりも心が落ち着く。求めると苦しくなるパターンに飽きたので、求めずにできることといったら整理や掃除だと思い、勝手にやっている。掃除は心も綺麗になる。


祖母の仏壇に線香を焚く。仏壇に祖母がいないのは分かっているけど、自分の心の中に残る祖母に手を合わせる為に仏壇があることを確認する。


心の違和感を、買い物やネットの動画で誤魔化すパターンにも飽きてきてる。欲しいものなんていつかはなくなる。

今生きていることに感謝しなくても今生きているのだから、生きていることに気付いてるだけで良いことに気付く。


家族といると自分の満たされなかった思いが溢れ出て、これまで固めてきた自分自身が壊れそうになる。今日もそうなって、親の善意に甘えてはいけないと思い、気をまた引き締める。適切な距離感をとらないときに、人は他人に甘え、その依存に苦しむ。親しい人こそ適切な距離感で接していくことを、再度思い出した。甘えは苦しみの元になる。


本屋に行く。宗教書、心理学書、スピリチュアル、詩、小説、新書などのコーナーを見て回る。何も買いたい本がないことを確認し、今の自分にもう知識は必要ないと気付く。


相変わらず地元にいると色んなことを思い出す。トラウマなんて誰もが持っているが、自分は地元にいると恐怖感の中で生きることになるのだと、20年以上経っても変わらない感情に気付く。誰かに共有したくても1人で背中のリュックにしまっておくしかないものである。


ちょうどよい折り合いなどつかないのが人生なのだろうが、楽観的に生きることが難しい私は、これからもこの不安定さを生きていく。自分を愛することはまだできないが、自分を大切に扱うフリはできる。

願わくば、私にとって光があるものを、目に入る位置まで運んで見えるようにしたい。


私の家族に私の価値観は殆ど伝わらないが、そこに期待をする必要もない。家族は大切で、何も変わらない。

この世界で私の価値観を理解してくれる人を探す為に、生きていくことにする。

やるべきことはない人生だが、そういう人が世界のどこかにいるのなら、生きる価値があるというものだ。


長い休みはあまり好きではない。

何をしたら良いか分からなくなるから。


淡々と心から出た言葉を文章にしてみた。