内見は予定通り行ったが、決められなかった。

家賃と今後の収入の目処とのバランスがとれず、即答できなかったので数日検討することにした。

私はやはり見栄っ張りのようで、人からどう思われるかということばかり頭をよぎる。

判断を鈍らせる。

 

駅から近いほうが良いのか、とか、色々基準が生まれてきて、初心がどこかに消えそうである。

海一択にするのもありだし、海と機動性のどちらも取るのもありだ。

どちらにせよ海だけはどうしても外せない。

今後何を中心に過ごすのか、が大切なところ。



また明日からあの職場に行くのか。

嫌だな、と思いつつ、働いて金を稼ぐことに対して色々付加価値を求めすぎなのかも、と思い直す。

人はどんな状況であっても、愚痴をこぼしたり、批判的になったりするものだ。

ないものねだりもいきすぎると、自分を見失う結果になる。

 

忙しいと生きていることを忘れる。

お金を稼いで、もっと良い車を買ったり、家を買ったり、欲しいものを買ったりとか、そういう目的のためにお金があるのではないと思う。

食うために働いている。

 

食費にお金を費やすのが最優先。衣食住を賄うために働いているのである。

楽器欲しいとか、かっこいい服欲しいとか、そういうのは欲望とか煩悩の領域のことで、食えてさえいれば良いのである。

餓死しない状況を自ら作り出すことができていれば、それでもうOKなのです。

だから別に働いてなくても、餓死しない状況にいるならそれで良いんです。働くことって手段であって、目的ではないからね。


でも大人になると、誰もそういう理由で褒めてはくれない。「生きてて偉いやん!よく頑張ってるよ」なんて言われたいけど。だから自分で褒める。

 

この前体育の授業で、ひたすらに子どもを褒めまくったら、みんな真剣に授業に取り組んでくれた。

褒めることって大切だな。私も誰かに褒められたいなと思った。

大人になると、人を褒めることはあっても、褒められる機会がグッと減る。

大人の方がずっとずっと頑張っているし、もっと労われて、大切に扱われるべきだと思うよ。

子どもを見ていて思う。子どもの世界は不自由で大変だけど、大人の世界は自由なはずなのに苦しい。

今日も、生きていることにふと虚無感としんどさを感じてしまった。車の運転中に、気持ちが沈みかけた。


まぁ人生そういうものだと思えればそれで進んでいけるけど、こんな状況でも生きている自分を、自分で労って今日は寝ることにしよう。



良い歳して、私は未だに実家の家族に近づきすぎないよう注意している。親のほうからも殆ど連絡はない。家族との関わりが殆どないというのは寂しいことだと思う。

でも依存の苦しさの中にいるより、独り身で味わう虚無感のほうがずっとマシだ。

親を裏切らないことを目標にして生きるのはとてもしんどいことだから。


10年前の自分よりは、前進してるよな、たぶん。