朝は氷点下になりそうな寒さでなかなか布団から出られず、アラームの5分ごとのスヌーズ機能も1時間くらい押しては鳴りを繰り返している。外にはセキレイが地面に落ちた木の実を探して、ウロチョロしている。

 

安心を求めて生きている人と、楽しみを求めて生きている人がいる。

オキシトシンというホルモンが安心につながり、ドーパミンが興奮につながる。

youtubeやSNSに求めているものはドーパミンであって、安心ホルモンであるオキシトシンがないと生活は不安定なままだと思う。

 

科学的に言えば脳内で生成されるホルモンによって人は幸福感を得たりしているというだけのことになるが、

そんなものを解明しなくても、なんとなく私たちはそれを満たそうと自然と行動を取っている。



先輩に連絡をして、「最近寿命を削っている気がします(苦笑)」と言うと、

「寿命削られ上等だよ」とPUNKな返答が返ってきた。

汚れず傷付かず年老いていくことを神経質に考えるより、この1日やこの1週間を乗り越えて生き抜いた自分を労っていく方が、

自分の生き方に合っているように思った。今日は今日で良い。明日のことは明日考えれば良い。

寿命や終わりは、神様が勝手に仕組んでくれるので、それまで足を動かして、心が感じ考える様々な疑問や悩みに向き合っていけば良いのだ。

 

私は国内のどちらかというと東寄りに住んでいる。ここは、自然豊かで、他者にあまり関心がない人が多い。なんとなくさっぱりとした地域だ。私の生まれた地域はもう少し西側だが、良くない意味で他者に関心を持っている人が多い気がしていた。だから今のさっぱりとした環境は嫌いではない。県民性というのは、実際に住んでみてかなり違いを感じる。

大都市の近くになればなるほど、駆け引きや取引きというものが強くなる。欲しいものを手にいれるためにそこに住んでいる人が多いから、目的を持って生きている人が多いが、多少の排他性や無関心も感じる。

30代半ばで都会の生活をやめて地元に戻ったりするUターン帰省者の気持ちがよくわかる。

都会にあるものに魅力を感じつつも、田舎にあるものの方が質的に高く感じるようになるのだ。

煩わしいと思っていたことを大切に思えたり、何もないと思っていた環境の中に意味を見出すようになったり。

 

自然が出す音。冬の冷たい風が、木にまばらについた葉を揺らす。ざざぁっと音を出す。自然の音を聞くと、いつだって自分の考えていることが些事に過ぎないのだと反省できる。