何度もリスタートを切ってきたが、一人暮らしで失うものがないからこれができるのかもしれない。

28歳から、何か自分の道を見つけなくてはいけないと足掻き続けてきた。

最初は足掻くだけ足掻いて形にならなかったらその時潔く諦めればい良い、というくらいの気持ちで実家を離れた。

でも私の行動は、自然の流れでなったものではなく、環境や友人などの気持ちに背く形で始まっていた。

周りの気持ちを考えていたら何もできなくなってしまう。それまでがそうだったから、自分の内的なものだけを頼りにスタートしたんだっけ。だからこの8年間はずっとその重荷が苦しかった。

 

良い方向へ向かおうとする機会がある度にブレーキがかかり、過去の自分に絡め取られそうになった。

それが原因で仕事を辞めたこともある。

職場を見れば、その土地で、その環境で、ずっと生き続けていくという覚悟があるから、みな所帯を持ったり家族を持ちたいと願ったりするのだと思った。私にも安定したい気持ちはあったが、そもそもこの自分だけの物語がなんのために始まったのかはっきりしていないところもあって、その土地で生き続けていく覚悟みたいなものは、どこに引っ越しても一向に生まれなかった。

 

こういう孤独感は、いくら話しても私の中と同じ重さで相手に伝えることが難しかった。

私は結婚や、恋愛、家庭などの、人間が暮らしていく中で大切な繋がりが、怖い。

なぜ怖いのか分からないが、自分の人生が定まってしまうことが怖いのかもしれない。

家庭ではずっと同じ毎日を続けることが善のような気がして、私のように気分の波が大きく気まぐれな性格では、それがストレスにしかならず、病んでしまうんじゃないか、と勝手に分析していた。

そうなると、私はずっと1人で生きていくことになるのだろうか。

この8年生きてみて、私は子どものような幼さを性格の中に有しているので、その子どものような自分を温かく見守ってくれる理解者を見つようとしているのだと分かってきた。

自分がそういう人間で、幼い面があることに虚しさや情けなさを感じるけれど、私がこうして毎日接している自分はずっと扱いづらかったから、私なりにはベストの行動をし続けていると思う。



誰しもがベストを尽くしている。

責任を負える部分は自分が選択してきたことにだけあって、それ以外の部分には、例えそれが自身のことであっても責任は負えないのだ。

「自己責任」と言える人は、ラッキーな人たちで、それに当てはまらない人もいる。

 

引っ越してからも体調が優れず、左目が痛かったり鼻水が絡んだり、少ししんどい。

様子を見て、眼科に行くことも考えている。

 

明日は免許証の住所変更をしようと思う。

陸運局に行ってナンバーを変更する手続きも必要かもしれない。

いろんなことをしなくちゃいけないな。

 

昨日は久々に先輩に会うことができた。

色々な話をしたが、共有したことはいつもと同じだった。

 

今できることをやっていく。

先は見えないかもしれないが、行動することでしか景色は変わらないので、

私にとって大切なものが見えてくるまで、身体を壊さないペースで、行動を続けていく。

それをしたいかと問われれば、正直なところ「変わるなんて面倒だ、やりたくないな」の気持ちの方が強いが、

それでも足を動かし続けてきた自分を信じて、行けるところまでで良いので行こうと思う。

無理せず、自分のペースで。

 

一番大切なのは、生きている、という自分を大切にしていくことだ。