昨日見学してきたNPO法人から、帰宅後にメールで連絡があった。

見学とは別に申し込んでいた履歴書などを鑑みて、不採用とのことだった。

NPOで働くには、相当なやる気が必要かもしれない。見学でそう思っていた矢先だったので、とりあえずこれで良かったのだと思う。


悲しい気持ちは少なく、それよりもこれからのことを考えている。

ただ昨日は、久しぶりにちょっと硬めの会話をして、少し疲れた。笑

 

29歳になる歳から自立して生活して今年37歳になるが、自分で作った道はまだ8年程度歩いているくらいで未熟ではある。

「どうしたらいいんだろう」という問いが、ずっと常にある。


罪悪感については色々調べた。

親や他者から勝手に「期待されている」と感じている自分がいるから、パワーゲームの中に入って行って疲れてしまうというのがあるように思う。

 

私の父や母の経歴はどれも「ちゃんとやってきた」人でないとできないものばかりだ。

医者の息子が医者になったり、教師の娘が教師を目指したりするように、親に悪意を持ってなければ子どもは自然に親を模範とするものだと思う。

私の兄妹も、そう。自分の生きる道に悩んだことはあっても、うまく整えて、親が納得しそうな道を自然に選んで今に至っている。

私はそれに乗るのがうまくできず、かといって何をしたいのかも分からずにいる。

自分のしたいことを考えると罪悪感を持ってしまう環境にはいた。

 

平成の初めの頃、私のために祖父が空き寺を作った。そんな安いものではない、土地代もあるのだから。

その空き寺は、仮に無くても地域社会的に問題ないものだったが、家族の反対を押し切って祖父がほぼ独断で作った。

私の為という名目の裏で、祖父の自己顕示欲が見え隠れしていた。


祖父は太平洋戦争の時、内地勤務で広島の呉の近くの海軍病院に海軍兵として勤めていた。

兵隊時代のことは、いつも誇らしげに話していた。

祖父は中学に行っておらず、小卒という経歴に劣等感を持っていた。だからなのか、ものすごく負けず嫌いで忍耐強く、努力家だった。本も出しているくらいだから。

怖い祖父だったが、檀家さんからしたら、「すごく穏やかで、話の上手いお坊さん」ということで通っていた。祖父は夕食でしょっちゅう他の寺の愚痴や、悪口などを言っていた。楽しい夕食ではなく、子供は黙って食べているしかなかった記憶がある。

私に取って祖父は、怖く、自己顕示欲が強く、そして真意の見えない存在であった。



私は一度本山を逃げ出している。自分が何してるのかよく分からなくなって、自分の人生を壊したいと思った。これでやっと予定調和から外れられる、と真夜中に作務衣で歩く国道で、一人思ったのを覚えている。


修行が嫌で逃げて、惨めで死にたいとか思う人もいるようだが、私の場合は「やっと自由になった。」という気持ちが強かった。

私は「本山を逃げた可哀想な奴」という扱いを近隣のご寺院さんから受けたし、当時は母親からも「寺に傷がついた」というのに近い事を言われた。「すぐ本山に戻ればやり直せる」と諭そうとする人もいた。皆、私がただ修行が嫌で逃げ出したのだと思っていたのだとおもう。


私にとっては自由への一歩だった。この感覚は説明してもわがままと捉えられるけれど。家に迷惑をかけた親不孝者という見方をするのが田舎の特徴で、それに対して異存はないからだ。

 その後地方のお寺で一年修行をしたけど、そこは大してしんどいとは思わなかった。


家を離れてから、ずっと罪悪感がある。

祖父が始めたパワーゲームに自然に乗ってしまったけれど、出る方法はあるのだから。

私は僧侶の仕事にはある程度適性はある。けれど仏事に関しては関心を持てない自分がいる。亡くなったら輪廻することや、故人に戒名をつけそこに戒名料が発生したり、お経を読むことでお布施を頂いたり、というのがしっくりこなかった。

もっと言えば、本来は慈悲心を持って、今生きている人の生活をより良くするためにある仏教が、ただ仕事道具として利用されているのに、折り合いがつかなかった。それが嫌で原理主義的になり、性欲を抑えて、清貧に生きようと試みたこともあったが、難しかった。そりゃそうだ、出家というのは世の中の価値観から自ら外れる行為なのだから。若い欲望を抑えるだけの理由を持ち合わせていなかった。



長くなってしまった。

4月にやるべきと設定していたことはやり終えて、少し気が楽になった。

昨日見学で話した施設長が、人生はデザインするものと言っていた。デザインが何かよく分からない私は、とりあえず家で絵でも描いてみようと思う。アートセラピーと言って、思うままに描く方法でやってみよう。